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天上(あまかみ)十印 著
  税込1.575円   08年12月刊    

  読者感想文
  この本の誕生には、大方の皆さんにとって「またー。いい加減なことを言ってー」ということがかなり重なっている。まず、著者の天上さんから「Mっていいますけどちょっと原稿を読んで欲しいんです」。 なんだか普通と違う印象を受けた。まずは来社していただき、原稿を預かった。ふだんは、ご本人の前でざっと目を通すのだが、その時は何故かその気にならず、通り一遍のやりとりでお引き取り願った。読了までの期間をたっぷり頂いたのだが、何故か気になって仕方がなく、ついに、他の用事をさておいて読み始めた。半分まで読まないうちに「これは放っておけない」との想いに駆り立てられ、原稿を預かって半月ほどたったばかり、しかも読了前に気持ちが決まってしまうということになった。正直にその旨を伝え、出版契約に来社をお願いした。

“いい加減な話”と思われる……というのはここからである。  「ペンネームを天上十印にして欲しい」との要望はいいけど、彼のこの本にかける想い、経過を聞いて内心驚いた。 なんと! 彼の前世は“源 頼政”だということで、当時の平氏のあまりにも天子に対する横暴を見かねた彼頼政が、全国に散らばっていた源氏に決起を促す“檄”を飛ばしたことから頼朝、義経はじめ源氏のすべてが立ち上がり、平氏を討ち滅ぼしたという顛末は余りにも歴史上有名な話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  天上氏の話は続く。一見平和に見える今の日本ですが、宗教上から見てこれほど腐った時代もめずらしい。このままでは、天変地異を待たなくとも、早晩世界は滅びるに違いない。これを防ぐには再び、“平成の檄”を飛ばす必要がある……との痛切なる想いに駆り立てられた。多分、そのためにこそ自分は再び、この世に転生してきたに違いない。その“檄”というのが、この本なのです。
彼の打ち明け話を聞いた瞬間「この人、私が私の前世の打ち明け話をしたらどんな気持ちで受け止めるんだろうな」と思った。その上で、「これは聞いてもらっておいた方が後々いいだろう」との私なりの判断が生まれた。4〜5年前に知り合った人に、三上先生という、今は亡きある種の指導家がいた。前世は源義経だそうで、信奉者はおおよそ5百人と覚えているが正確には分からない。第何十代目かの国師という立場であったらしいが、これも私には分からない。師の話を始めると優に本が1冊書けるほどの分量になるので、ここではやらない。師の言葉では私の直前前世は頼朝の祐筆のなにがしだったとのことだ。誠に荒唐無稽の感があったが、師は何故か私をずいぶんと贔屓にして下さった。これもこの本の誕生秘話とは余り関係ないので心ならずも省く。しかし、天上氏には敢えて長時間にわたり打ち明けた。さすがに彼は私の話をすべて受け止めてくれ、そればかりか、高揚感さえうかがえる表情ですらあった。「そこまでは分かっていなかったけど、やっぱり、明窓出版に決めるべき道がついていたということですね」彼のこの言葉は、もしかして、知らず知らずの私の創作かも知れない…………という気がする。彼のこの本を称しての「超危険な本」と言う言葉を受けて私の言葉。「この本の売れゆきが7千冊や8千冊のあいだはどうってことないけど、1万冊を超えたら、その時点で天上さんは身を隠す必要があると思いますよ」

おわりに、これまでの本とは内容的な思い入れが少しばかり違う関係で、“秘話ばなし”が思わず長くなってしまったことをお詫びする。同時に、最後まで読んで下さったことに心から感謝する。増本
蛇足ながら、彼との出版契約を取り交わした翌日の新聞で、契約当日、京都の或る寺が焼失したことを知った。(この本を深読みすれば、消失の必然性が理解できると天上氏は言う)1週間後、編集の打ち合わせに来社した彼の、寺院消失を語る語尾が少々ふるえていたことを報告する。

Copyright (C) 2009 明窓出版, All rights reserved

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読者感想文

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私のようなものが、このようなことをいうのは、おこがましいのですが、とにかく、このような形の小説を書く著者が現代日本にいるということに、驚き、また、そういう人材を発掘して、本を出すまでにいたる御社の姿勢と、懐の深さには、驚くばかりです。私のようなものが、このようなことをいうのは、おこがましいのですが、とにかく、このような形の小説を書く著者が現代日本にいるということに、驚き、また、そういう人材を発掘して、本を出すまでにいたる御社の姿勢と、懐の深さには、驚くばかりです。私のようなものが、このようなことをいうのは、おこがましいのですが、とにかく、このような形の小説を書く著者が現代日本にいるということに、驚き、また、そういう人材を発掘して、本を出すまでにいたる御社の姿勢と、懐の深さには、驚くばかりです。宗教学者の本山博氏は、宗教でも、本物は、人集めが苦手で、人が多く集まる宗教は、褒め言葉がうまいといっていますが、正に、この本は、それとは逆行した正道を歩んでいる稀に見る御高著だと思います。 真理をつかむ上での在家を重要視している点も、興味深いです。現代は、釈迦やキリストのいったこととは、本質がずれていき、形骸化した宗教が幅をきかせ、そういうものを見て、宗教に嫌悪を覚えてる、仏教、キリスト教に誤解を抱いてる人間も、少なくないと思います。

そういう中で、実は、世の中全体が、仏陀やキリストの示した道を歩ませるように進んでいるとしか思えないのです。 釈迦は、出家して普通の人間が回り道して進む人生の苦しみを、凝縮させて味わうことで、一気にいろいろなものをつかんだと思うのです。しかし、誰もが、この社会から隠遁して、同じマネをするわけにはいかない。しかし、世の中全体が、どうも、在家をしながらも、そういう人生を歩まなければならないというような状況に進んでいるとしか思えないのです。 真理をつかむためには、やはり、のほほんとした人生では、不可能だと思います。仏教やキリストの本質というのは、要するに、真理からはずれていくほど、人間は不幸になるということだと私は解釈しています。それは、これまで人類が何万年もかけて進化してきたのと同じような遅々たる歩みなのかもしれませんが、人間は、少しずつ、真理を悟る方向に進んでいくのではないでしょうか。 そういう中で、このような本が出てきたことは、やはり、自分の考えも、そうずれてなかったのかなと、独りよがりに思いました。

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