シャンバラを知り、いつの日かシャンバラ人と出会い、地上もシャンバラもへだてなく。

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20才を少しすぎたころで、一流のシェフになりたいとフランス料理の修業をしていたころのことだ。料理長から金庫に手をかけたと誤解されたことがきっかけで、何をやっても悪意にとられ、四面楚歌の状態におかれたことがあった。
そんなとき、「自分のおかれている苦しみなど軽いものだ。世の中にはもっと苦しい状況の中でがんばっている人々がいるのだから負けてはいけない」そう自分に言い聞かせてがんばっていた。しかし、ある夜、僕以上に苦しい立場におかれている人々の気持ちというものに思いがいたったとき、おさえようのない涙が心の内からあふれでてきた。そういう人々のために、何かできないだろうかという思いがこみあげてきた。
 

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Copyright (C) 2007 明窓出版, All rights reserved





























   推薦の言葉
●●●●●推薦の言葉の中身●●●●●

































  まえがき

●●●●●まえがきの中身●●●●●

























       目 次




●●●●●目次の中身●●●●●


























  プロローグ






 一歩一歩を踏み締めながら歩いていた岡本ゆりは、頬の冷たい感触におもわず呟いた。
「雪。」
 夜空を見上げると、街燈の真下に立っていた。あかりにすっぽりと包まれたゆりの頭上。
闇の中に純白の花が咲くように、雪は忽然とあかりに照らし出されて姿をあらわし舞い降りてくる。
 ひとひらcc。
 また、ひとひらcc。ゆっくりと。そして、優しく。
 ほどなく、無数の雪の花が、ほのあかりの中に姿をあらわしては、地上に降り積もりはじめる。静寂という奥ゆかしい旋律に包まれたゆりは、舞い降りてくる雪のひとひらに手を差し出し、その光を手にとった。冷たい感触を握りしめる。
「健一さん」
 ゆっくりと、しかし足早に人生を歩み消えていった生命の光。
 今夜でゆりは、四ヶ月前から売りはじめた、健一による著作の三百部の本を自力で売り切った。弘前駅頭から立ちはじめて、東北六県の中心的な駅頭で、土日の休日に、この本を売った。本の制作費をとりもどしたかったわけではない。手にした人には確実に読んでほしかったから、無料で配るよりはお金を出して手にいれてもらったほうが良いと思ったからだ。
 ゆりはコートのポケットから、自分のために残した新書版の一冊をとり出した。健一との思い出にあふれているすべてのページをパラパラとめくり、本を閉じると、両の手のひらで包むようにしながら祈りの形で額に寄せた。
「やったよ。ケンちゃん」
 呟くと、頬をあたたかいものがつたっていった。
 新書版の表紙には「地上に降りた天使」という題名がしるされている。ポケットに戻すと、ゆりは唇を噛締めて歩きはじめた。
 肩にも黒髪にも、雪は音もなく舞い降りていた。
 

     1
  
 日室健一。一九九二年十一月現在、三十一才。
 どっちにころぶかわからない僕の人生が、はっきりとひとつの方向に転り出したことを自覚できたのは、三年前の出来ごとからだ。
 当時、僕はガソリンスタンドで夜の十時から翌朝八時まで働くアルバイターだった。そのスタンドは、そこから1キロほど先に開通する高速自動車道への車を見込んで、さきがけてオープンしたもので、まだお客さんは少なかった。午後十二時半ごろまではけっこう忙しいが、午前一時をすぎると客数はほとんどなくなる。夜間は二人のアルバイターで切り盛りし、一時を過ぎると、それぞれ一時間の休憩をとってよいことになっている。私はいつも仮眠をとらず、パートナーにその時間をプレゼントしていた。なぜなら、そうすることによって、一時からの数時間は私にとって誰にも邪魔されない時間になるからだ。
 街を離れて山の麓につくられたスタンドは、深夜になると恐ろしく静かだ。まっ暗闇の山林の中に、ぽっとスタンドの灯がともっている。他に文化を感じさせるものといえば、切り開かれたばかりの道路だけなのだ。この静けさに浸りながらアルバイト料がもらえる。それに、暗闇に守られた静けさの中で、私はもっとも輝ける時間を獲得していた。
 パートナーが二階の休憩室にあがると、僕はカバンからノートとボールペンを取り出し、いつでも書きはじめられるように準備する。そして、お気に入りの胡桃の実をふたつ取り出し、まず右の手のひらで握りしめて、カリカリとふたつをこすりあわせる。つづいて左の手のひら。いつの間にか癖になってしまったが、私にとってこのことは重大な意味があった。自分の指が自分の思いのままに動くことを確認して安心すると、自由な発想からのアイデアがいろいろ浮かんでくるのだ。それからボールペンをとり、思いうかんだ文章を書きはじめる。志してから、そのころでもう五年がすぎていた。小説のことである。詩を書くことからはじまり、地方新聞の詩壇で賞をもらってからのめりこんで、小説も書いてみようと思ったのだ。
 ところが、書けば書くほど自分には才能がないことがわかってくる。詩は自分の精神世界で展開する思考や感性を描いておればそれでよかったが、小説は違う。僕には人間関係における心理的な機微などなかなか描けない。細かい描写力にもとぼしい。童話にも挑戦したが、どこまでが子どもの理解できる範囲なのかわからない。子どもの心を推し量れなくて、押しつけがましい説教がはいってしまう。小説や童話で成功することはあきらめていたが、書かないではおれなかった。人から否定されても、自分でもだめだと思っても、書こうとせずにはおれなかった。
 山の麓にぽつんとともされたスタンドの灯。あたり一体は暗闇と静けさが充満している。文学にのぞむ僕の姿は、半ばあきらめに侵されている僕の人生を象徴するかのようであった。
 そして三年前、あの出来ごとだ。僕の人生を決定した出来ごと。
 ガソリンスタンドは僕が住んでいるアパートから2キロほどのところで、ガソリン代の節約のため自転車で通っている。スタンドに行くときは登りなのできついが、帰りは下りでペダルを踏まずに帰れる。その登り道で僕は自転車ごと側溝に落ちた。膝の痛みに気づいたのは後のことで、まず思い浮かんだのは姉の顔だ。僕には二人の姉がいるが、その上のほうの姉である。みち子姉さんは「ひまわり園」という特別療養施設で療養している。脊髄小脳変性症という原因不明で治療法のない病気なのだ。体の平衡感覚や運動をつかさどる小脳が萎縮していく病気で、筋肉が思うように働かなくなっていく。歩いていてふらついたり、文字も書けない状態になっていく。みち子姉さんは病気が重くなり、そのころはもう寝たきりの生活だった。その病気だけで死ぬことはないというが、多くは抵抗力がなくなり他の病気を併発することによって死にいたるという。僕の母は脊髄小脳変性症に心筋障害を合併させ四十一才で死んでいる。つまり遺伝性の病気なのだ。生まれた子どもの半数に遺伝するという。それも、三十才を越えても発病しないとき、はじめて健康体であることがわかるというのだ。僕は二人の姉と三人姉弟である。上のみち子姉さんは十四年前に発病し、下のあつ子姉さんは三十六才になって健康な体で暮らしている。あつ子姉さんは恋愛し結婚しているが、子どもは産まないと決めている。
 これでわかると思うが、私も半分の可能性の人生を生きてきた。希望にはいつも五十パーセントの絶望がまとわりついていた。
 8月の蒸し暑い夜だった。暗闇につつまれたアスファルト道路の脇の自転車道を、ライトを点灯して走っていた。腰をサドルから浮かせて、右足、左足と交互に力をこめて登り匂配を走らせていた。まっすぐな道だ。車のライトが目を射たわけでもない。まっすぐ走っていたつもりが、側溝に落ちてしまったのだ。上の姉の顔が浮かんだ。
「平衡感覚」
 思わず呟いた。
 それまでにも、ときおり、目眩しているような感覚があり、兆候はあったのだが、認めたくなかった。しかし、もうまちがいないだろう。死におもむく母の白い顔がまぶたの裏に焼きついている。施設で寝たきりの生活を送る姉の、やせた体を抱きあげた感覚が腕にのこっている。病院で長い期間をかけて検査するまでもない。僕の小脳はまちがいなく萎縮しはじめている。一、二年もすれば病院に入り、所定の検査が終われば、姉と同じ施設に入り療養の日々を送ることになる。
 スタンドに着いてからの僕はふぬけになってしまった。仕事はパートナーが全て処理してくれた。僕は事務室の椅子に座ったまま、朝までふぬけていた。病気の兆候を感じながらも、懸命に否定して自分を励ましてきていた。その気力が自転車の一件で崩れさったようだ。
 みち子姉さんの姿を見てきながら、覚悟はしていたはずであった。発病してから、じれったくなるほどゆるやかに症状が重くなって、寝たきりになり言葉もしっかり発音できなくなってくる。症状が重くなるほど、姉さんは微笑みを絶やさないようになってきた。病気と闘うなかで何かを悟ったのだろう。姉さんは病気と仲よしになったのだと表現した。神さまが与えてくれた病気なのだと言う。体の自由がきかず、思考や感性を中心とした精神活動だけの生活の中で、通常の状態では感知できない世界を感じとれるようになったのか。僕は神さまや霊界などの存在は信じていなかったが、姉さんに言われると認めてあげたくもなってくる。姉さんは立派だと思う。だけど僕にはとうていまねができないだろう。姉さんの姿を思って自分を励まそうとしたが、気持ちがどんどん落ちこんでいった。
 アパートに帰ってから、言葉にはあらわせない感情や思考がいりみだれた。何も食べずに、時間の観念もなくなっていた。今、冷静になってふり返ると、姉さんのように動かない体に忍耐して、生活のすべてを人に面倒見てもらって、満面の笑みだけで感謝の気持ちを返しているような生活は、とても耐えられないという気持ちになっていた。そんなみじめな姿をさらして生きるなら、いっそここで死んでしまったほうが、男らしく潔いようにも感じた。ナイフを手首にあてがったり、喉元にあてたりしたが、切り裂く勇気もわいてこなくて自己嫌悪に陥っていく。
 あのままアパートの部屋に一人こもりつづけていたならば餓死していたかもしれないが、運がよかったとしかいいようがない。一通の手紙がドアの状差しの穴を通って、パサリッと床に落ちる音が異常なほどに耳に響いた。部屋にこもってからはじめての外界からの刺激である。差し出し人は岡本ゆりとなっていた。知らない女性である。一週間ほど断食状態で体力がすっかりなくなり、重く感じられる腕をもたげて封を切った。
 手紙文を読むと、私の友人である佐々木孝男の知りあいだと書いてあった。僕が詩を書きはじめたころ、地元の同人誌に作品をのせていたことがあったが、佐々木はその当時の仲間であった。佐々木は東京に移り住むようになったが、手紙のやりとりは続き、自転車の件があった時から二年前に、そのころ書いた詩をコピーして送ってやったことがあった。その詩が岡本ゆりさんの目にふれることになったらしい。「かぜにさくはな」と題した詩である。岡本さんが参加している同人誌にその詩を掲載したいと書いてあり、岡本さん自身のその詩に対する解説の原稿のコピーがそえられてあった。その中に、「かぜにさくはな」で表現した私自身のかなしみに対しての、次のような一節があった。
 この人の悲しみの理由も、私は知らない。知ろうとも思わない。ただ、この人は悲しみを知っているというだけで十分であった。
 五年前に僕が書いた「かぜにさくはな」は百数十行のひら仮名ばかりの詩である。岡本さんが共鳴してくれた「かなしみ」をわかっていただくために、詩の前半部分を記してみよう。


いかされている
ときづいた
はじめての あさを むかえて
まあたらしい ひかりが さしこんできた
その あおい そらから
ひとすじ きらめいて おちてきた しずくを
みを なげだして うけとめた このはのように
ぼくは いま めざめたんだ

まちこがれていたんだね この なみだと
じぶんから ときはなたれた あらたな うぶごえを

このはの うえで
すべてを すいこんで しまいそうに
ぷるぷると ふるえている しずくの むこう
すいて みえるのは はるかな たましいの はらっぱ です
ちへいせんの むこうから こみあげてくる だれとも しれぬ 
かずしれない なみだの ぬくもり
めを とじれば とおい らいめいが きこえて くる
そして いなびかりが
ぬくもりの はざまに みえ かくれ する


 あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 


















 あとがき

 ●●●●●あとがきの中身●●●●●
























 著者プロフィール

●●●●●著者プロフィールの中身●●●●●





















本の誕生秘話

 ●●●●●本の誕生秘話の中身●●●●●























関連書籍の紹介


 参考文献

神山誠『繁栄の指導者・松下幸之助』林書店
THE21・7月特別増刊号『いまだから松下幸之助』PHP研究所
嘉山登一郎『お嬢ccゴメン』近代映画社
嘉山登一郎『俺のどうにか人生』近代映画社
西村克子『愛燦燦・ひばり神話の真実』徳間書店
山本厚子『野口英世・知られざる軌跡』山手書房新社
ピーター・コリヤー、デヴィット・ホロウィッツ、鈴木主税訳『ケネディ家の人びと上・下』草思社
木藤亜也『一リットルの涙』エフエー出版
『定本八木重吉詩集』彌生書房























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