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美しく老い、気高く死んでゆくために……。

瞑想者が綴る警鐘の書
 同世代の女性にくらべはるかに奥が深く魅力的な雰囲気をかもしだしている彼女をながめ、わたしは胸を衝かれてことばをうしなってしまった。
 ふと、てのひらほどの風のかたまりが、わたしの頬をよぎったかに思われた。
 なまあたたかい、それでいて妙な悪寒を感じさせる、透明のボール状をしたかたまりだった。
千秋の頭頂から、そのボールは空中にながれでたのだが、過去に二度わたしは同様のボールが彼女のからだから宙にむかってとびだしたのを記憶している。
 アストラル体の脳にできたしこりが氷解しつつある。
 しこりがあといくつか外界に放出されれば千秋嬢は精神の病いから解きはなたれる……と異次元に住むわたしの師は言う。

前書き 目次 あとがき

本文70% 著者profile 関連書籍
Copyright (C) 2007 明窓出版, All rights reserved













 
         森島健友 著





 瞑想と安楽死


  ●●●●●サブタイトル2●●●●●




                                   明窓出版



















   推薦の言葉
●●●●●推薦の言葉の中身●●●●●

































  まえがき


 私は新聞のレイアウトを生業としている。
 だから仕事柄、印刷所に出向くことが多い。
 ある日のこと、ある印刷会社の校正室で読書をしながらゲラの上がりを待っていた。
 と、背後に人影を感じた私は本から顔を上げ、振り返った。
 初老の男性が立っていた。
 校正室で時どき顔を会わせることのある人物である。
 彼──島崎はどこにでもいる一介の平凡な男性である。
 しかし、どこか人生を達観した、孤高の存在とでもいうふうな威圧感を身辺に放っていた。
 だが決してクールではない。
 とにかく、なんとも形容しがたい不思議な魅力を漂わせていたのだ。     後略
























─────────☆ 目 次 ☆────────


 サバンナをジョギングする千秋………………12
 よろこびもなく、かなしみもなく………………38
 この世の死は、あの世では生………………51
 聖なる国インドと、妻を想う………………56 
 闇を見ず、光のみを見て………………65
 千秋の父親、赤井邦友に会う………………74
 新生「瞑想の会」がスタート………………78
 クンダリニーの炎に焼かれる………………89
 インド霊性修養の旅………………91
 サイババのアシュラムにて………………96
 ダルシャンの列に並び瞑想する………………101
 未だサイババに会えず………………108
 愛と分かち合いのくる日を夢見て………………111
 仲、福田とサイババを語る………………118
 アイソワラ、孤児院建設の夢を語る………………126
 サティア・サイババに会う………………128
 愛する者と別れる苦しみ………………129
 西田千香に瞑想を教える………………136
 泉の命を受け執筆活動に取り組む………………142
 インドの麗子から国際便が届く………………157
 千秋に電話をかける………………159
 一か月ぶりに千秋に会う………………160
 麗子に触発されて………………166
 ネパール移住を決める………………169
 瞑想教室を閉鎖する………………170
 子羊を抱きしめる………………171
 おわりに………………176


























 サバンナをジョギングする千秋






 某月某日
 また静謐な朝がやってきた。
 わたしはベッドのなかでかすかに身震いした。
 へやのかたすみの小卓に飾る桔梗の花びらが、まくらもとのカーテンごしにしのびいる、夜があけるまえのあの淡くて繊細な大気のかげりにつつまれて、ゆらいでいる。
 桔梗は花好きの妻がとりわけ愛した花のひとつだった。
 かれんな花びらからただよう芳しい香りに鼻腔を刺激されたわたしは、そのせつな睡りから覚め、そしていましがた妻とかわした屈託ない会話の断片が現実のものではなく、遠い夢の世界のできごとだったと気づいたのだった。
「一、二、三、四でゆっくりと息をはき、五、六、七で息をとめて肛門をしめるのよ。八、九、十でまたしずかに息をすいこむ」
 長年、ハタヨーガをつづけてきた彼女は、わたしにアーサナの一種であるワニのポーズを指導している。 
 だがわたしがふざけて一向にまじめにやらぬものだからしまいにサジをなげてしまった。
「あなたはいつもチャランポランなんだから」 
「一、二、三、四……」
 彼女の口調をまねて道化てみせた。
 笑いがこぼれ耳朶をうつ。
 それでわたしは短い睡りからよびさまされたのだった。
 そうした昔みた夢の片鱗がおりふし、わたしのもとへたちかえってくるようになって、もう久しい。
 わたしは自分が生きて、たつきにあけくれるこの現実世界が、じつは夢の世界で、実存する世界はむしろ夢のほうの世界ではないのかと、考えることがある。
 半身を起こし窓ぎわの壁にもたれた。
 カーテンを細くあける。
 眼下の人通りのとだえた交差点の信号機が、ぼうとした黄土色の光彩を路面におとしていた。
 ベッドに横たわりこうしてあてもなく往来をながめるくせがついたのは、妻が逝きこのマンションに移ってきてからである。
 枕をクッションがわりに壁と背のあいだにはさみ額をガラスの窓にくっつけて眼下の光景にみとれているひとときは、わたしにとってまさに至福の刻であった。
 そんなとき現実はわたしのなかで静止し、わたしの外にある世界だけが大河のように、とうとうと渦をまいて流れさっていく。
 わたしは常に切望する。
 この一刻が永遠につづいてくれはしないか──と。
 交差点の東寄りの辻に屋台がとまっている。
 屋台のまえのビルが新聞社で、版画展の案内のたれ幕が屋上からぶらさがっていた。
  リリトの娘たち 
  革命の女たち 
  しらざれる画家に 
  ヘリオガバル 
 作品を告げる赤い文字が乳白色の大気のむこうでゆれている。
 一昨日、わたしはインドから帰国したばかりだった。
 ボンベイで国内線が遅延し、そのあいだに無情にもデイリー発の国際線は、わたしをおきざりにしてとびたってしまった。
 おかげでわたしは慣れぬ道中、タイ航空機をのりつぐなど余計な神経をつかって、ほうほうのていで関西にもどらねばならなかった。
 旅の疲れがまだ身体にからみついている。
 それに業界新聞のレイアウトを請け負うわたしは、帰国そうそうブランケット版八ページの仕事に忙殺され、昨夜遅くようよう開放されたのだった。
 短い睡眠にすぎなかったが、そのおかげでいくぶん生気をとりもどしたわたしは、なんとなくけだるい身体を隣室に運んだ。
 わたしが住むこの分譲マンションは星野千秋の母親が所有している。
 もともと四LDKだった間取りを、寝室兼仕事場の一角をのこしてワンフロアに改造した。
 このフロアでわたしは本業のかたわら、少数の人びとを相手に瞑想を指導しているのだった。
 戦国の武将、武田信玄は「静かでやさしく美しい軍隊が強い」といった。
 信玄のことばを借りてわたしは「瞑想は静かでやさしく美しい人間をつくる」と、教室の生徒に説いている。
 もともとは宣伝の謳い文句だった。
 だが真実瞑想にはそういった、人間を変容させずにはおかぬ神秘な力があると、いまではわたしは自分の体験と経験に照らし合わせて確信している。
 瞑想室にたたずみ壁にかけたマンダラに合掌する。
 床にひざまずき脚をおって瞑想の姿勢を保つ。
 両眼をとじるとすぐに額の付近に鳥の翼のような白色の発光体が漂出し、浮かび消え消え浮かびして眼前をいそがしく旋回する。
 光体は頭頂の下方と額の奥方との交点から発し、この交点の付近をわたしの瞑想仲間たちはアジュナチャクラと呼ぶ。
 インドへ旅立つ直前、星野千秋にチャクラに関する短い話をした。
 あの日わたしはインドへもっていく荷物の整理をしていた。
 下着をたたんでいるとチャイムが鳴り含羞を帯びた消えいりそうな声が来訪を告げた。
 扉をひらいても彼女の姿はなく、
「千秋さん、どこにいるの」
 と呼びかけると、ほどなくはずかしそうに扉のかげから、そのきゃしゃなからだがのぞく。
「どうしたの?」
 わたしのほほえみにさそわれ彼女も端正な口もとに微笑をうかべる。
「ママにたのまれたの。島崎さんにもっていってあげなさいって……」
 手さげの袋の中身はイタリア製のウエストポーチだった。
 千秋の母親は大阪の心斎橋と梅田にブティックの店をもっている。
 つい二か月ほどまえにもフランス製の高価なかさをもらったのだが、物をなるべくもたぬ主義のわたしにとって、いずれも負担でありいささか迷惑でもあった。
「旅行に便利がいいからって」
「ありがとう」
 千秋をへやに招きいれる。
 二十三歳になる彼女はまだ十代にしかみえない。
 中学校の二年生になったころから世界がしぼみ、しいて理由のない厭世観と倦怠感にさいなまれはじめた。
 闇の世界は彼女の内部でしだいにふくらみ二度、服毒自殺をはかった。
 仏教系の女子高校を二年で中退したあとは外出をいとい、自室に閉じこもる日々が多くなった。
 幻聴がきこえてきたのは二十歳の春だった。
 病院の精神科や霊能者をたずね歩き、あげくのはてに精神世界関係の話題を扱うある雑誌に掲載された、わたしの小文を読み茨木市の団地に住んでいたわたしを母娘でたずねてきたのだった。
 半年前のことである。
 わたしは齢五十七歳になっていた。
 きがえのシャツや下着などがちらばった乱雑なへやのありさまに千秋は顔をしかめる。
「こんなちいさなバッグひとつでインドへいくのですか」
「これでじゅうぶんさ」
「てつだいましょうか」
「いいよ」
 彼女を制し
「ティーをのむかい」
 とたずねる。
 友人であるネパール人のアイソワラが送ってきたダージーリンの紅茶が一箱のこっていた。
「紅茶をいれたことがある?」
「はい」
 とこたえはしたが急に硬い表情になってしまった。
 さきほどの含羞にみちた柔和なほほえみが嘘のようにきえる。
 彼女のからだの内側で、いったいどのような疾病が荒れ狂っているのか、かいもく見当がつかないが、この感情の落差にぶつかるたびにわたしは、いまなお当惑をかくしきれないでいる。
 ふたたび荷物の整理にとりかかったものの、キッチンにひきこもりいつまでたってもあらわれぬ彼女に不審をもちキッチンをのぞくと、ダスターで神経質にカップをみがいている。
 ぬぐってもぬぐっても、すぐに微菌が付着するのだと涙ながらに訴える。
 わたしの手助けをえてどうにか紅茶をふたつのカップにそそぎおえた彼女は、今度はうってかわって饒舌になり
「いつ瞑想を教えてくれるのですか」
 と、およそ精神を病む人間とは思えぬ涼やかな瞳をわたしにむけ、快活にたずねる。
 まだ時期尚早だとこたえると、それでは瞑想の話をなにかきかせてほしいと、双眸をみひらき頑是ないこどものようにねだる。
 こんなわけでわたしは人体に存在する七つのチャクラについて千秋にレクチャーすることになった。
「のどにあるビシュタチャクラは甲状腺に関している。ビシュタを刺激することで肉体の加齢を抑止することができる」
「ビシュタですね」
 わたしのことばをひとつひとつ確認しノートにメモする。
「抑止」
 とつぶやきながらボールペンをすばやく走らせる彼女は、読書家で漢字をよくしっている。
「ビシュタの下方、心臓のちかくにはアナハタと呼ばれるチャクラがあり、このチャクラが正しく開放されると、その人はもはや他者の苦痛を黙過できぬ慈愛の人になってしまうんだ」
 さりげなく彼女のノートをのぞきこむ。
 他者、黙過、慈愛の文字が正確にしるされている。
 彼女のいったいどこに異常が巣くうのだろう。
 同世代の女性にくらべはるかに奥が深く魅力的な雰囲気をかもしだしている彼女をながめ、わたしは胸を衝かれてことばをうしなってしまった。
 ふと、てのひらほどの風のかたまりが、わたしの頬をよぎったかに思われた。
 なまあたたかい、それでいて妙な悪寒を感じさせる、透明のボール状をしたかたまりだった。  
 千秋の頭頂から、そのボールは空中にながれでたのだが、過去に二度わたしは同様のボールが彼女のからだから宙にむかってとびだしたのを記憶している。
 アストラル体の脳にできたしこりが氷解しつつある。
 しこりがあといくつか外界に放出されれば千秋嬢は精神の病いからときはなたれる、と異次元に住むわたしの師はいう。
「おへそのすこし下にスワディスタナが、さらにその下方にムーラダーラチャクラがねむる。ムーラダーラはチャクラのなかでもとりわけ重要なんだ。なぜならムーラダーラにはクンダリニーと呼ばれる神秘的な白蛇が宿っている」
「白蛇……。スネークですか」
「そう。クンダリニーは七つのチャクラのキングだ。とぐろをまいた蛇に姿がにているところから、瞑想者らは白蛇と呼びならすようになった。ほとんどの人間のクンダリニーは惰眠のさなかにいる。白蛇を冬眠させたまま一生をおえていく。クンダリニーについてはまたつぎの機会に話そう。本日はこれにて終了」
 まだ千秋にはおちつきがない。
 わたしの講義に神妙に耳をかたむけておれるのも、せいぜい半時間、それをすぎるとどうも集中力がとぎれてくる。
 無聊をもてあました人間のように瞳をこすり、しきりに足をくみなおす彼女をみて、わたしは潮時をはかっていたのだが、それにしても千秋とむきあって、まだ二、三十分しかたっていない。
 とても瞑想どころではない。
 わたしの机上の仕事道具や書棚の本や、眼につくものてあたりしだいに関心をしめし、わたしを質問攻めにしていた彼女はやがて母親がかけてきた電話にうながされ、来訪したときとは対照的にさっそうとロングスカートのすそをなびかせてわたしの視界からきえさった。
 そんなことどもを思いだしながらわたしは早朝の瞑想に沈潜する。
 アジュナチャクラからこぼれる光の帯をへそに位置するマニプラチャクラにそそぐ。
 光の帯はわたしがイメージするレールのうえを忠実に走行し、マニプラがはなつ極彩色の光輪に、グングンとすいこまれる。
 ほどなくわたしは、自身が光の帯につらなって光輪になだれをうって突入するのを、意識のどこかかたすみでチラと知覚する。
 瞑想のさいしばしば、こうして異なった次元に参入し、その結果、確信をえた結論は〈宇宙に存在する次元は無限である〉ということだった。
 点だけの一次元世界があり、点と点を結ぶ直線だけの二次元世界がある。
 時間と空間に束縛された、わたしが住む三次元世界の外周には時空を超越した四次元世界が翼をひろげており、そのさらに外側には……と、次元は際限なくつづく。 
 驚嘆すべきことに、ひとつの次元にもどうやら、個性のことなったおびただしい世界がひしめきあって息吹いている。
 瞑想のさいわたしが好んで訪れる世界Aは、町の風景も住民のようすも、わたしが住む世界のものとほとんどかわりはない。
 ただ世界Aには言葉はなく、互いに思念の波動を交流させることで、言葉以上に緻密でデリケートなコミュニケーションを図る。
 世界Aのほかにわたしがたまにいく世界Bは、世界Aとはまたべつの次元に存在する、これまたユニークな世界だった。
 なにしろ世界Bの住人はすがた形をもたない。
 この世界に住むわたしの友人も一度としてその姿をみせてくれたことはない。
 その友人は男性でも女性でもない。



 あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 




















 おわりに


 島崎に啓発されたわけではないが、私はその後、瞑想の同好の士に呼びかけ、小規模な会を主宰するようになった。
 会の名を彼の会から借用し、「瞑想の会」とした。
 瞑想の会は営利団体ではない。
 瞑想を通じて切磋琢磨しようという、瞑想愛好家の集いである。
 さらにこの会の一番大きな目的は、ネパールの未就学児童の就学応援である。
 年間千円の会費を徴収し、ネパール・スカラシップ基金に全額を送金している。
 ネパールでは一年間に五千円あれば、一人の児童が学校へ行くことができる。
 ところが、その金がないために学校へ行けない子供達がたくさんいるのである。
 ネパール・スカラシップ基金は、そういった未就学児童の就学応援を目的に、ネパールの首都、カトマンズに住む一ネパ    後略
                              「瞑想の会」 森島 健友
























 著者プロフィール

森島健友

1945年生。産経新聞記者を経て著述、編集業。
著書に「聖なる夜に花束を」 「瞑想の新しい風」 「楽天発想・オモタル瞑想の勧め」「聖シャンバラ海兵団」など。






















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