感動すべき鳥越俊太郎。一貫した鳥越俊太郎の主張。鳥越俊太郎が国を動かした。

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テレビ朝日『ザ・スクープ』で放映!!
 衝撃の金属バット殺人事件の全貌。  キャスター  鳥越俊太郎の真相解明!!
制作ディレクター 後藤和夫渾身のドキュメント!!
 いま家庭とは? 家族とは? あなたは、関係ないと言えるか?!
 東大卒の真面目で温厚な父親はなぜ最愛の息子を殺害したのか!!
 テレビ朝日ザ・スクープの問題作「我が子への殺意」が本になった。
 事件が我々に与えた教訓は?
 今、家族にひそむ問題を問う!


目次 本文70% 本の誕生秘話 感想BBS

著者profile
Copyright (C) 2007 明窓出版, All rights reserved






































────────目  次────────


 第一章 事件の概要
         事件の概要=キャスター 鳥越俊太郎………………8
         取材ノート・僕たちの失敗=ディレクター 後藤和夫………………15

 第二章 父の肖像
         公判に臨んだ被告人の意思………………32
         裕福な農家に生まれて………………33
         取材ノートより………………34
         親も認める優等生………………37
         吃音の悩み………………38
         東大進学と自殺念慮………………41
         東大紛争の中で………………46
         取材ノートより………………48
         暴力に反対する民青系の穏健派………………50
         編集労働者としての23年間………………52
         取材ノートより………………56
         50歳の挫折………………58
         息子と向き合うために………………66
         取材ノートより………………67

 第三章 神経過敏な息子と優しい父親
         息子に対する償いとして………………71
         数年に一人の過敏な子ども………………77
         どうして学校に行かなくてはいけないの? ………………81
         勉強を強要したことはない………………86
         取材ノートより………………91
         うちのお父さんは優しい………………106
         イジメにあったと訴えた息子………………111
         中学進学の中で………………114
         高いビルから飛び降りたら死ねるかな………………116

 第四章 家庭内暴力の発生(1994年11月から1996年6月)
         父と子、ともに自殺を考えた年………………122
         息子の中に大変なことが起こっている………………123
         父に向けられた暴力………………128
         『受 容』………………133
         土下座しろと息子は言った………………136
         Kクリニック、無抵抗でいいという医師の答え………………140
         取材ノートより………………142
         中学2年になって………………144
         妻季実子、歯が折れる………………146
         季実子の家出………………147
         ギター教室に通う………………151
         妻がいなくなって………………156
         再び湧き起こる自殺念慮………………159
         不登校になった息子………………163
         奴隷のように使われるのもひとつの技術ですよ………………166
         鼻の骨を折る過激な暴力………………169
         過酷な要求、長女の独立………………172
         チケットへの苛立ち、強迫神経症の可能性………………175
         やりきれない暴力の日々………………180
         自殺未遂? 俺なんか生きていてもしょうがない………………182
         父親としての思いを丸ごとぶつける………………187
         妻季実子の二度目の家出………………190


 第五章 殺害 追いつめられて
         理由なき暴力へ………………193
         てめえ、最近調子にのってんじゃないか………………194
         金属バットを捨てる(7月)………………196
         過酷な日常………………204
         取材ノートより………………207
         痩せ始めた息子………………212
         お母さん、花のダリアって見たことある? ………………215
         息子から離れられない心理………………219
         新しい相談機関でグループカウンセリング(6月から8月)………………223
         取材ノートより………………227
         再び湧き起こる本格的な自殺念慮(8月)………………231
         ある精神病院へ(8月)………………233
         最後の家族旅行に向けて、洋服の要求(8月18日直前)………………239
         家族旅行 子どもの頃が甦った(8月18日から21日)………………245
         金属バット購入 自殺願望から殺意の感情へ
                    (8月下旬から9月上旬)………………250
         殺す可能性の中で 殺意を支えとして………………256
         政彦の日常生活(9月)………………264
         異常な関係の中の暴力(9月から10月)………………267
         新しいカウンセラーとの出会いの中で(10月)………………275
         金属バットを持ち帰る(10月20日)………………279
         最後のカウンセリング(10月22日)………………284
         取材ノートより………………291
         苦しみに耐える日々(10月から11月)………………298
         事件直前の数日間(11月3日、4日)………………302
         事件前日(11月5日)妻との買い物
               「お父さんしかめっ面しないで」………………305
         事件前日の夜(11月5日)息子の暴力、そして
               「お父さんチャーハン作って」………………310
         犯行当日(11月6日)無防備な息子の寝姿………………319
         殺害(11月6日、午前7時過ぎ)………………326
         殺害後の行動(11月6日)………………329
         息子から逃れられない気持ち………………336
         第9回公判(1997年11月18日)………………337
         ◆暴力にさらされ続けて………………337
         ◆責任の取り方………………343
         ◆検察官の質問………………348
         ◆裁判官の質問………………349
         ◆裁判長の質問………………350
         第10回公判(1998年2月3日)………………352

 第六章 判 決
         判 決………………357
  あとがき
         鳥越俊太郎………………362
         それでも優しい父親を目指して=後藤和夫………………370



























 第1章 事件の概要






                          キャスター 鳥越 俊太郎


 事件が起きたのは1996年11月6日朝のことだったが、翌日の朝刊でこの事件を一番大きく扱かったのは、なんと日本経済新聞だった。日経の記事は社会面トップ、黒斜ケイ凸版の見出しで「金属バットで息子殴殺」、ソデの見出しは「中3の父、暴力耐えかね」、そして、この二本見出しの下に「湯島、容疑で逮捕」とある。
 事件の第一報は普通、事件発生直後に警察が被疑者を取り調べて得た情報に基づき、その概要が発表されるものである。この第一報というのは案外大事なもので、世の中一般への印象を決めていく役割を果たすだけでなく、警察の取り調べや裁判までもその方向付けに影響を与えていくものである。このいわゆる「金属バット事件」もその例外ではなかったように思える。
 その意味でこの事件を最も大きく扱った日経紙の記事を再録しておきたい。

 6日午後零時十分ごろ、警視庁本富士署に、東京都文京区〇〇会社員、加山健容疑者(52)が「自宅で息子を殺した」と自首してきた。同署員が加山容疑者宅を調べたところ、同容疑者の長男で区立中学三年の政彦君(14)が頭から血を流して死亡していたため、同容疑者を殺人容疑で逮捕した(以上がリード部分、以下本文)。
 調べによると、加山容疑者は6日午前7時ごろ、自室のベッドで寝ていた政彦君の頭部を金属バットで4、5回殴り、殺害した疑い。同容疑者は犯行前日の5日夜、政彦君とけんかとなり、朝になって犯行に及んだ、という。調べに対し、加山容疑者は「2年ほど前から息子の家庭内暴力に悩んでいた。殺すつもりで殴った」など供述している、という。
 犯行に使われた、とみられるバットは自宅内に残されていた。同署は犯行の経緯などについて詳しく調べている。
 加山容疑者は四人家族だが、妻と長女は暴力に耐えかねて別居中だった、という。政彦君が通学していた区立中学によると、政彦君は活発な生徒で、昨年一学期は学級委員を務めたが、二学期からほとんど登校しなくなった。趣味のクラシックギターに熱中し、音楽授業のある日は学校に来ていたという。
 加山容疑者は政彦君の不登校や家族への暴力などについて、担任や校長にたびたび相談。教育熱心で、先月20日の授業参観にも出席していたという(以上、本文。以下、関係者のコメンント)。

『暴力問題で両親と話をしてきたのに』中学の校長、沈痛。
 6日夜、東京〇〇の加山政彦君の自宅マンション周辺には、悲報を聞いた友人らが続々と集まった。
 小学校の同級生だった同区内の少年(14)は「12月31日にはお父さんとミュージシャンのコンサートに行くと喜んでいた。お父さんは何でも買ってくれると言っていた」と肩を震わせていた。
 同じマンションに住む主婦(43)は「政彦君はにこやかにあいさつしてくれた。大人になったな、と思っていた」と、事件が信じられない様子。政彦君が通う区立中学の岩谷栄子校長(56)は「先週は文化祭の合唱の練習にも来ていた。暴力の原因を探りたくて両親と話をしてきたのに……」と沈痛な表情で語った。

 以上のような第一報記事は情報不足段階での記事らしく紋切り型の表現に終始しているが、それでも事件の核心は伝えていた。つまり、中学3年生の息子の家庭内暴力に耐えかねた父親が金属バットでわが子を殴り殺したと、いうものである。
 この事件の第一報を聞いて浮かんでくる疑問点は大きく分けて二つである。

1 そのような(耐えかねるような)家庭内暴力は何故起きたのか?
2 父親は何故我が子を殺害しなければならなかったのか?
 この二つの「何故」が十二分に解き明かされない限り私達はこの悲劇的惨劇を理解することは当然のことながらできないのである。
 それは事件発生から3ヶ月経って始まった裁判の中で解明さるべき課題として残されたのだったが、事件発生3週間後に、こうした疑問に迫ろうとした試みもあったことは公平を期すためにも挙げておかねばならないだろう。
 11月27日付け毎日新聞朝刊の25面(ビッグ追跡)には、前田剛夫記者の署名入りの特集記事が掲載されている。
「家庭内暴力金属バット事件」というタイトルのこの特集は見出しだけを拾うと、
「父は真正面から闘ったが」
「『家庭で解決』裏目に」
「ギターをともに習い、息子思い再転職も」と、ある。
 この記事には独自の取材で息子の家庭内暴力で母が前歯を折られ、父が鼻の骨を折られる程の凄まじいものであったことが初めて明らかにされており、その暴力的な息子と父親が、いかに懸命に真正面から格闘していたかもかなり詳細に描かれている。
 正直に告白をすれば、実は私がこの事件に関心を抱いたのもこの特集記事を読んだからであった。この中で父親、つまり加山健容疑者が東京大学文学部を卒業し、マルクスの「資本論」など社会思想色の濃い老舗の出版社で働いていたことが紹介されている。私達のような、60年安保世代の人間からすれば、この著名な出版社で仕事をしているというだけで、戦後民主主義という言葉と重なり合う、ある種の生真面目さを備えた人物を想像してしまう。そんな人物像と家庭内暴力、金属バット殺人とはどうしてもつながらないのである。
 記事の最後に関係者の三つのコメントが紹介されている。
「父は子供の言いなりになるだけで、忍従の世界にいた。父は家庭内で自力解決をしようと努力していた。家庭内の暴力だけでなく、子育て、カウンセラー、教育、反抗期などさまざまなことを考えさせる実に痛ましい事件だ」(本富士署幹部)

「後1年がんばれば治るぐらいの何らかの見通しが加山君ならきっと持てたはずだ。いつも冷静に物事に対処していた加山君が、金属バットで打ち殺したのは、息子さんではなく(見通しを失い絶望してしまった)加山君自身だったのかもしれない。」(出版社時代机を並べて編集の仕事に当たっていた同僚)
 二人のコメントで、「忍従の世界」というのが「何故父親は息子を殺したのか?」を考える上でのキーワードだろう。もう一つは、「打ち殺したのは自分自身かも」というコメントである。しかし、やはり、これだけでは分からない。
 もう一人のコメントは、どちらかというと、「家庭内暴力は、何故おきたのか?」に関するものである。「追い込まれた子の苦悩」という小見出しつきのコメントは、子供などの人権問題に詳しい児玉勇二弁護士の話である。
「家庭で暴力を振るう子供は、暴力を通じて自分自身の苦悩、さびしさ、親や社会への叫びを表現していて、暴力を振るわざるを得なくなるほどに追い込まれている。一方、まじめな親ほど自分の価値観を子供に押しつけ、親にとって都合のいいように育て上げようとすることで、子供の個人の尊厳や自己決定権を奪い続けていることに気がつかない。こうした親にノーと云えず、素直に育っていると思える子供がやがて暴力に走ることがある。受験などで学校に行かざるを得ないと考え、親や周囲から学校に行かされることでストレスがたまり、それが家庭で暴力として発散される例もある。今回の事件の父親は問題を解決しようと(一緒にギター教室に通ったり)子供に真正面から真剣に向き合おうという姿勢があるようだ。ただ、親が家庭内暴力の被害者になってしまったという一方的な見方ではなく、なぜ子供がそうなったか、なぜそこまで追い込まれなければならなかったのかを子供の人権の視点で考えなければ、ことの本質を見失う。その背景には子供自身の苦悩や悲しみがきっとあるはずだからだ」
 児玉弁護士の指摘の通りだろう。
 家庭内暴力を引き起こす子供にはそれなりの理由があるはずである。子供自身の苦悩や悲しみ。親や学校の先生も、友人でさえもが察することが出来なかったもの。それは何なのか? それこそが私達が知りたいところである。勿論、一般論を述べる立場のこのコメントにその答えを見いだすことは出来ない。
 これもまた裁判の結果を待たなければ見えてこないものであった。

○取材を始めるにあたっての覚え書き
 番組の取材がスタートする前に私たちが知り得た情報は以上のようなものであった。右にも書いたように、事件発生時の報道がそれほど大きなものでなかったこともあったためか、私は大して気にも留めていなかった。
 私は週刊誌の記者時代から、編集長を経て、テレビの仕事をするようになっても続けている習慣が一つだけある。それはメモ帖を常に携行し、「企画」のアイディアを書きつけるという行為である。新聞・テレビ・雑誌を読んでいる時に、そして誰かと雑談中に、フロの中で、トイレの中で……ふっと浮かんでくるニュース企画のひらめき。それを大切にしてきた。
 しかし、私のメモ帖にこの事件の発生時はなんの痕跡も残していない。私の、ニュースをチェックする網の目からするりと逃げてしまっていた。それは当時、それほどの大ニュースでなかったことも理由の一つだろうが、私の、ニュースに対する感性が鈍くなっていたことが一番大きな理由のように思われる。
 毎日新聞の夕刊に前田剛夫記者の特集記事が載って初めて私はこの事件の存在に気がついた、といっていい。そのうちに年が明け、97年になると、裁判が始まり、新聞や週刊誌に事件の核心に迫るような話が少しずつ出始め、鈍感な私もさすがに、これは大変な事件だと思い始めた。
 私の最初の関心、は父親がなぜわが子を金属バットで殴り殺さなければならなかったのか──にあった。
 しかも、その父親は、私自身がそうであったように学生時代からマルクスやエンゲルスといった世界に足を踏み入れた人物である。戦後民主主義の中で育ち、「話し合い」といった言葉に代表される、筋道をたててモノを考えていけばなんとかなる、といった思考を身につけていたはずなのに、なぜそこまで追いつめられたのか。
 謎が多ければ多い程、「ザ・スクープ」のような検証番組にとっては恰好のターゲットになるはずだ。私は何度かこの事件を番組でやろう、と提案したが、番組スタッフの反応は今ひとつであった。
 それはそうだろう。テレビというのは、基本的に映像と音で(そして補足的に文字で)表現するメディアである。事件自体は過去のものであるし、再現は出来ても、ドキュメンタリーの映像としては当然ながら迫力を欠く。しかも中学生が被害者なので周辺人物の取材も慎重さを要求される。そして最大の難関は裁判である。法廷にカメラは入れられない。つまり、テレビにとっては裁判は経済ニュースとともに最も苦手な分野なのである。誰しも二の足を踏むのは当然な話であった。
 しかし私はなんとかやりたいと思っていた。
 北朝鮮による拉致問題が大きな話題となっていた97年春が過ぎ初夏を迎える頃、後藤和夫ディレクターが、或る日スタッフルームへやって来た。この時取材は始まったのである。


 あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 






















 著者プロフィール

鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう)

1940年福岡県生まれ。65年京都大学文学部(国史学専攻)卒業。同年、毎日新聞社入社。新潟支局を振り出しに大阪社会部、東京社会部、サンデー毎日編集部、外信部(テヘラン特派員)、を経て88年サンデー毎日編集長。89年8月毎日新聞社を退社。同年10月からテレビ朝日系列「ザ・スクープ」土曜日夜11時半〜)のキャスター。95年10月からは「サンデージャングル」(日曜日夜11時〜)のコメンテーターも。
著書:「あめりか記者修業」(中公文庫)「異見─鳥越俊太郎のジャーナリズム日誌」(現代人文社)


後藤 和夫(ごとう かずお)

1970年東京都立竹早高校卒。卒業後、大島渚監督「東京 争戦後秘話」に主演。自身も自主映画の監督をする。1978年からテレビ制作会社・武市プロダクションでテレビディレクター。情報系・報道系ドキュメントを数多く手がける。
本書のもとになった「我が子への殺意」をはじめ『ザ・スクープ』では「ベトナムロード2400キロ」「アメリカ・崩壊する家族」「殺人までの時間割」「千葉すず・復活の秘密」など、『ニュースステーション』で「ソ連参戦・シベリア抑留」、日本テレビでは『追跡』などを演出。






















本の誕生秘話

 だいぶ前の話(1999年)なので何の用件だったかよく覚えていないが、莫邦富さんという人が来社した。ひとわたり話が終わった頃、「鳥越俊太郎さんから預かっている話だが、明窓出版さんで本を出してもらえないだろうか」と振ってきた。鳥越俊太郎といえば「ザ・スクープ」の名司会者として、つとに有名なキャスターである。
 思わず膝を乗り出して、「どんな内容ですか」「少し前、大きな話題を投げかけた『金属バット殺人事件』というのがあったのを覚えていますか。東大卒で、大手の出版社の編集長をやっていたお父さんが、我が子を金属バットで殴り殺した事件です。それを僕の友人であるプロデューサーの後藤和夫さんと鳥越さんが共著でもって書き上げた力作です。褒めすぎかもしれないが上質の裁判劇といえます」
 すこしばかりミーハーの私はすぐに絡め取られてしまった。
 ただちに莫さんのオフィスで後藤さんに会い、原稿を受け取ったのはいうまでもない。随所に出てくる中味の重さに押しつぶされそうになりながらも、鳥越さんや後藤さんに、ねぎらわられながらなんとか校了に持ち込んだ。
 後日談として、これの出版祝賀パーティーは楽しかった。テレビでおなじみの美人アナウンサー、これもチャーミングなキャスターのお嬢さんたちに取り囲まれて(といっても、取り囲まれたのは鳥越さん)すっかり夢うつつ……。
 印象に残ったのが後藤さんだった。なんとなく態度がでかい。それも作ったでかさじゃない。周り(特に女性)の人たちがそれを当たり前として受け止めている。
 私の一人合点ではあるが、プロデューサーってえらいんだなーと思ったと同時に、いっさいそれをそぶりにも出さない後藤さんの人柄にもいささか感じるものがあった。











読者感想文
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