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はやばやと『優良図書選定』を受けました。
「大江健三郎の、どの小説をとっても、そこには救済の物語=歴史がある。
 個人はそこで故郷の村や森の伝説的存在とのまじわりを証左する印を帯びる。そして彼は秘密の音楽(森の不思議)が聞こえる様々な声の源へと、いよいよ歩みを進めるのだ」本文より
フランスの著名な文芸評論家によるノーベル賞作家、大江健三郎の作品に関する詩的、哲学的批評。
大江的世界を演出するために海外で活躍する日本人写真家の作品も挿入されている。

前書き 目次 本文70% あとがき

感想BBS 著者profile 関連書籍













 
          ジャン・ルイ・シェフェル/菅 原 聖 喜 訳 著



《哲学的評論》

 大江健三郎


 bその肉体と魂の苦悩と再生b




                                   明窓出版



















   推薦の言葉
●●●●●推薦の言葉の中身●●●●●

































  まえがき

●●●●●まえがきの中身●●●●●

























       目 次




●●●●●目次の中身●●●●●



























 以下のページは大江健三郎の書物について、読書の流れに応じて書かれたものにすぎない。そこで確認したことは、テーマ、対象、そして伝記的変容、一群の小説が舞台となる主観の破局、そうしたものの現前である。しかしながら読書過程のなかで取られた以下のノートは、喜ばしきものに対する体系的再構成の契機をなすものではない。
 作品というものは何かしら生きている存在である。批評家の作品に対する介入、あるいは解釈部分は、当然ながら差しでがましいものになるにせよ、彼が現に読んでいるもののなかでは、意図的に読者の存在は等閑視されることになる。
 読書空間は不均等に、そして多くは正当化されない方法で、作品の幾つかの際立った特性によって占有される。肉体の、対象の、そして形象の自由な処理は、その作品がもつ構造的諸特質を目に見えるものとしてくれる。また、次のこともおそらく言いうる。それらの特性はすべての読書に共通の、自由な変奏の可能性を示唆するものであると。
 現在、フランス語で入手しうる限りでの大江健三郎の作品は、おそらく、その対象によって特徴づけられている。そこでは、ある作中人物の物語り=歴史であるまえに、何者かの存在が問題となる。この何者か(作者自身、その父、とりわけその息子)は、単に物語りのなかで、一定の役割を引き受け、物語りを進行させる力、あるいは謎を体現しているというだけではない。この人物は、文字でもって作品化された人物、いわば《書きしるされた者》となる。後者の意味では人物は時間の推移そのものとなる。それは自らの生の様々な事象に関する当てにならない記憶であり、その生の内実は、個性と肉体をかたちづくるものが奇妙な仕方で配置された幾つかの断片からなるものである。主人公は、この驚くべき内容の小説群のなかで、ひとつの問題を解決する。あえて言うなら、むしろ人間存在全体を真に性格づける何かを解き明かそうとするのだ。彼自身は生きる力が乏しく、欲望と苦悩、思い出の危うい均衡、孤独の怪物、そして「私」の根元的不条理を基礎づける記憶の生きた経験、私たちのなかにある不条理の定義そのものとなる。それは類をみず、比肩しうるもののない、基本的にコミュニケーション不在(さらに言えば、心理学も、《予測の行動学》も無意味となるような)であるようなものの素材から創りあげられたひとつの個性である。大江の小説は――おそらく、それぞれが自分の父、息子、といった個性的人間の謎を通じて語られるがゆえ――個としての人間の物語という点で例外的なものである。そこで語られる事柄は、愛や冒険の物語とはほど遠い二重の事象、すなわち、ある人物における言語生活と、言語のなかの肉体という一種の齟齬の事態。まさに個々の肉体が保持する記憶から魂というものが構築されるのだ。


 あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 

















 あとがき

 ●●●●●あとがきの中身●●●●●
























 著者プロフィール


本文著者  ジャン・ルイ・シェフェル ( Jean Louis Schefer )

 一九三八年生まれの哲学、文学、美術批評家、作家。
 一九六九年、ロラン・バルトやレヴィ・ストロースの弟子として、記号学・構造主義の立場から書かれたSc始ographie d'un tableau 『絵画の遠近法』《テル・ケル叢書》(スーユ社)で、若き美術史家として注目を浴びて以来、その活動は長期、かつ多岐にわたり、現代フランスの批評水準を示す数多くの著作を送り出し続けている。
 フランスの出版界では彼に関してひとつの神話というか、ギネスものというか、そんな逸話がある。彼が十八ヶ月間に十一冊の単行本をものにし、出版したという話がそれである。もちろんその本のどれもが、彼の思想家、批評家としての成熟を示すものである。
 しかし、彼自身はそのように呼ばれることを好まず、あくまでペンのみに生きる者としての矜持を保ちつつ、つねに「作家」 ツrivainであることを願う。「小説、フィクションを書いたことのない作家」という自己規定はエクリチュールという全体性のなかに自らを置くという、「書くこと」に対する彼の姿勢を端的に表わしている。アカデミズムをいち早く離れた記号学者、写真から映画、絵画にいたるまで広い守備範囲を持つエッセィストで美術史家、あるいは精神分析から文学、哲学にまでをこなす博覧強記の理論家、人が彼をどう呼ぼうが、彼は作家であることを譲らない。あえて言うなら科学と想像力とイマージュの作家である。
 次に掲げる著作は、数ある中でのごく一部に過ぎない。 Sc始ographie d'un tableau 『絵画の遠近法』一九六九(スーユ社)、Le d四uge et la peste - Polo Uccello 『洪水とペスト\ポロ・ウッチェロ』一九七七(ガリレー社)、L'homme ordinaire du cin士a 『映画における普通の人』一九八〇(ガリマール社)、Main courante journal de l'hiver 1998 et du printemps 1999 『主流』一九九九(POL社)などが代表作である。
 本文写真   白岡順

 一九四四年愛媛県新居浜生まれ。日本の写真専門学校で学んだのち、ニューヨークに移り、写真家としてのスタートをきる。そののちパリを活動拠点として現在に至る。ニューヨーク、パリ、東京など世界各地で多くの個展、グループ展を開催。海外では現代都市空間を鋭利な感覚で表現する写真作家として第一級の評価を得ている。

 作品の主なコレクション先。
 パリ国立図書館/フランス文化省/ニューヨークメトロポリタン美術館/ニューヨーク近代美術館/ポール・ゲティ美術館(カリフォルニア)/パリ歴史図書館/ストラースブルグ近代美術館(フランス)/プロヴァンス・アルプス・コートダジュール地方現代芸術基金/ヴィトレ・アートテック(フランス)/パリ文化事業局/ヨーロッパ写真館(パリ)/クライスラー美術館(ヴァージニア)/東京国立近代美術館/東京写真美術館/川崎市民ミュージアム 他




訳者   菅原聖喜

 一九四八年生まれ。宮城県石巻市出身。
 学習院大学法学部卒業。
 東北大学法学部大学院法学研究科にてフランス政治史、政治思想専攻。
 宮城学院女子大学を経て二〇〇一年より東京理科大学基礎工学部教授。























本の誕生秘話

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