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もともとユートピアというのはギリシャ語で「どこにもない場所」のことである。
遙かなる時空のかなたに「ユートピア」を見た青年がいた。そしてこのユートピア体験は青年に大変な事態を生じさせた。その事態とは何か! 
青年の夢想したユートピアとは何だったのか。

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         三田雄人 著





 ユートピア幻想の凋落


   〜ある青年のユートピア体験〜




                                   明窓出版



















   推薦の言葉
●●●●●推薦の言葉の中身●●●●●

































 はじめに


 これは、ある青年が「ユートピア」を空想した、その体験を記したものである。ただそれだけの事に過ぎないが、その体験はこの青年にとってとんでもない事態≠生じさせた。
 その事態は、その青年に生じた単なる個人的な体験に過ぎない。他の人にも通じるような普遍的なものでないことは明らかである。ただ、人によって、ひょっとして何らかの変化がこの青年のユートピア体験を知る事によって生じる可能性があるかもしれない。
 それ故、本誌を読む人はこれだけは頭に入れておいて貰いたい。「ユートピア」などという言葉に騙されないで欲しい。万が一何か感じることがあったとしても「若き、青臭い、偏屈な、バカなやつが、変なこと空想しやがって……ザマアミロ、アホッタレ」とでも笑い飛ばしてもらいたい。その事だけは切にお願いしておく。途中で嫌になったら直ちに読むのは中止されたほうがよい。ゴミ箱にでもさっさと捨てられるのがよいだろう。
 あえて確認させて頂く。本書はこれを読む人の心に万が一何が起きても一切関知しないし、責任もとらないから、そのお積もりで。
 元々ユートピアというのはギリシャ語で「どこにもない場所」のことである。その有り得ないことを空想し、体験した青年に生じた大変な事態とは何か。興味ある方だけお読みいただきたい。
 もったいぶった言い方をしたが、確かにその青年には個人的とはいえ大変な事態が生じたのである。

























       目 次




●●●●●目次の中身●●●●●



























 まず、その青年の性格について、その青年の記憶の断片をつなぎ合わせながら述べておく。性格を知って頂いた方が、その空想、あるいは思考の過程(考え方)をご理解頂きやすいと思うからである。
 青年は、幼少期極めて泣き虫であった。それも、何がきっかけで泣き出したのか記憶はないのだが、ある広い畳の部屋でしゃがみこんで泣いている記憶がある。多分、三歳か四歳のとき、ワーッと大きな声を出して泣き続けている。家族も困っている。そして多分、青年の母か兄であったろうが、誰かが時々様子を見に来たり、「まだ泣いてるの、もう気はすんだ」とか「いい加減にしろ、何がそんなに悲しいのだ」と言われたりすると、それをきっかけに更に大きな声で泣き続ける。家族もあきれ果てて放置してしまう。放置されて泣き続けているうちに自分でも何で泣いているのか分からなくなる。おそらく二時間位は泣き続けた。
 また青年は、幼少期より「死」が怖くて怖くて仕方がなかった。その死への恐怖を決定的にした出来事があった。溺れて、実際に死にかけたのである。小学校三年生の夏休みの事であった。二人の兄と川へ遊びに行った。釣りをしたり、向こう岸へ届けとばかりに川に石投げをしたりしていたが、川の浅瀬でも遊んだ。そして突然深みにはまる。少年(青年)は川の中で何度も水を飲みながらじたばたとした。泳げなかった。ただ、バタバタと、藁をも掴みたい一心で手足を動かした。死ぬと感じた。水の中は青白い泡のようなものがたくさんあった。何かが手に触れた。必死にしがみ付いた。殴られたような、「慌てるな」と怒鳴られたような記憶が少年にはあったが、気がつくと足が地に着いていた。助かったのである。その時しがみ付いたのは直ぐ上の三歳違いの兄であった。直後、少年は兄から言われた。「危ないじゃないか、こういうときは慌てるな、共倒れするところだった」と。その日はさすがにそれ以上川には近づこうともしなかった。大きな岩の上で、真夏の暑さの中、一人寒気を感じながら、呆然と座り込んでいた。少年の兄もまだ小学生だったが、比較的身体も大きくまた体力もあった。もし少年の兄が体力なく冷静さを持っていなければ、確かに共倒れしたかもしれなかった。
 このとき以来、死への恐怖がときに発作のように青年を襲うようになる。1、2、3、4、この「シ」が出て来ただけでぞっとする。なるべく考えないようにしていたが、逆に、青年(少年)は同時に「死」への恐怖を乗り越えたいとも思うようになった。時に自分の死をイメージしてそのとき感じる恐怖感を乗り越えようともした。しかし、少年(青年)にとって「死」は如何ともし難いほど怖く、特に自分の死後のことなど考えるだけで身の毛のよだつものであった。死への恐怖、それを乗り越えたいという気持ちは、長いこと続いていた。
 青年は、高校二年生のときであったろうか、受験勉強をかねて、英語と日本語の対訳形式のポーの短編小説を読んだ。内容はある男が海で大渦に飲み込まれたが九死に一生を得るというものであった。ただ、その男の頭は白髪に変わっていたという。
 その本を読んだ後、青年は、想像の上で自分が大渦に飲み込まれたと仮定し、死の恐怖を乗り越えようとした。小船に乗って大渦の中に吸い込まれていくと、何度も何度もそのイメージを抱こうとした。しかし、その度に恐怖に打ち返された。ある時は、余りの恐怖のため、朝起きたとき自分の髪も白髪になっているのではないかと、そっと鏡を覗き込んだりした。ある朝恐怖に打ちのめされて起きてきた青年は、母親から「あんた何て顔しているの、勉強のし過ぎじゃないの」とも言われた。そんな事を夜な夜な繰り返す日々が一ヶ月も続いたであろうか。結論は、「死」はどうしても怖い、その恐怖は乗り越えられない、決してそれは取り除けない、という事になった。取り除くには「悟り」の境地に達する事だ。高校生の分際でそんな事出来る訳ないとも思った。受験勉強中でもあり、こんなこと何時までもやってられないという気持ちも生じた。その結論で納得せざるを得なかった。
 少年(青年)は元々、気が弱く、泣き虫で、臆病な性格であった。無口であり、人前に出ると顔を真っ赤にして立ちすくむこともあった。
 特に大勢の人の前で話をすることは、苦悩といってもよいものであった。しかしそういう機会は小学校二年の頃から度々あった。学級委員というのか、級長というのかそれに少年は選ばれた。級長である少年は一週間に一回クラス全員の前に出て司会のようなものをしなければならなかった。それは、何か一週間の決め事のようなものをクラス全員で話し合うという種類のものであった。この司会が少年にとって実に苦しかった。誰も発言してくれないとき等泣き出したくなるほどであった。まとまらないのである。魔の金曜日であった。少年は金曜日を休むようになる。そして金曜日だけ休むのは不自然と感じて、他の曜日も適当に休むようになる。「お腹が痛い」と言って休んだ。そんな日が続いたとき、両親が不審に思ったのか、医者に診てもらいましょうという事になる。父親の運転する自転車の後ろに乗せられて診療所のようなところに連れて行かれた。少年は自転車に乗る前自分でお腹を思い切りひっぱたいたりした。腹痛の原因を創ろうと思った。腹は少し赤くなったがうまくいかなかった。医者がお腹を押したりした。痛いかとも聞かれた。押されると痛いような感じもしたが、少年は「いや」と腹痛は否定した。結局、腹部に異常はないということで、医者受診は終わった。
 帰り道やはり自転車の後ろに乗る少年に対し背中腰に「お前、学校に嫌な事でもあるか」と父親が尋ねた。少年は一瞬迷ったが、「ない」と答えていた。父親はただ「そうか」とだけ言った。
 少年は進退窮まった。父親には自分の心は見透かされているとも感じた。もっとしつこく尋ねてくれれば本当のことを言ったのにとも思った。もう学校を休むわけにいかないと感じた。でも司会は嫌であった。その時心底、「死にたい」と感じた。自分の死を想定して、川に身を投げるか、首でも吊るか、具体的方法も少し考えた。ただ、「自分が忽然とこの世から居なくなる」こと、それは想像しただけで途轍もなく怖かった。簡単に死ねるものではなかった。自殺はしなかったが、しかしそれ以後逆に「死への恐怖」の気持ちがかなり頻繁に生じるようになった。そして、その後の前記した溺れかけた体験は、「死への恐怖」を決定的にした。
 医者受診後、少年は少し開き直った。司会はまとまらなくてもよいと思った。「何かありますか」とクラスのものに言って皆が黙っていたら、そのままでよいとも考えた。また自分が級長に選ばれるのは成績が少しばかり良いからであると思った。そのため、テストをわざと間違えるようにもした。しかし余り効果がなかった。半年か一年で級長は交代する事になっていたが、なぜか少年は選ばれてしまう。このことと直接関係ないが、両親は中学校の教師をしており少年の学校の教師とも連絡し合っていたのだろうか、何時だったか母親から「貴方ね、貴方が泣き虫でなかったら、代表で挨拶するという話もあったのよ、でも大勢の前で泣き出されても困るからね」と言われたこともあった。少年としては真っ平ごめんということであったが、母親は残念そうでもあった。
 中学生のときも、何らかの役員によく選ばれた。週番というのがあり、グランドに集まった全校生徒の前で高い台の上に乗って、その一週間の「努力目標」(大抵、廊下を走るのは止めよう、などの目標)の結果を報告しなければならなかった。台に乗って何か喋ったが違和感があった。声を出しているのに自分の声が全く聞こえないのである。喋っているのにその喋る声が聞こえないというのは恐怖に似た違和感があった。ただこの時は、これは自分の声が小さい為であるから仕方がないと思い、適当に口をパクパクやって、青年は台を降りている。
 高校生のときもそういう機会はあった。入学して直ぐに在校生との対面式というのがあった。青年は新入生代表として挨拶しろとある教師から言われた。このときはしまったと思った。入学試験の成績がどうも一番か二番であったらしい。試験なんか頑張らなくてよかったのだと。入学式のときは他のクラスメイトが挨拶しているから正確には二番手だったのだと思った。対面式ではいきなり野次が飛んだ。「お前、玉付いてるか」というようなことが耳に入った。一瞬たじろいだが無視して「先輩の皆さんを見習い、本校の伝統を汚さないよう頑張りたいと思います。よろしくお願いします」といったようなことを喋ってさっさと台を降りた。
 高校のときは室長(級長)というのがあり、やはりそれにも選ばれた。一年の最初のホームルームで担任教師から指名された。最初は成績で選ばれたようだから止むを得なかったとして、次回以降はクラス全員の選挙によるものであるのに、二年目も選ばれた。青年はこれが気に入らなかった。その選挙の後「自分は室長に適さない、辞退する」と申し出た。この頃は受験勉強が中心の生活であり、室長なんて雑用の多いものなんかやってられないという気持ちも強かった。この申し出を認めるべきかどうかホームルームは紛糾した。
「適さないと言うが皆が選んだ、一年間やってきてその上で選ばれたのだ、やるべきだ」、「なぜ適さないと思うのか、誰が良いというのか」「やりたくないならやらなくてよい」、等々、結構意見は出た。青年はそこまで皆が考えてくれるのならやってもよいかとも思ったが、また、自分を投票した人は何故そうしたのかと尋ねたい位であった(青年の心には前もそうであったから今度もあいつにやらせておけ、ぐらいにしか皆考えていないと感じていた)。青年は「私は適さないと思う、何故かとか、誰がとか、よく分からない、ただ自分は適さない、辞退する」と主張し続けた。このときの選挙の基準は成績は別問題になっていた。実際、青年は常にクラスで三、四番手くらいの成績しか残していなかった。決して、一、二番ではなかった。結局、青年の主張は通った。選挙がやり直されて他の友人が選ばれた。青年は主張を通したものの、何故かこの時一抹の寂しさと「自分を情けない」とも感じた。三年目の時、また室長だったか他の役であったか記憶は定かではないが選ばれた。なぜそうなのか分からなかったが、その時は抵抗もなく受け入れている。
 その他の青年の性格を示す記憶として、小学校五年生の時であった。クラスメイトに少年の事を「サル、サル」とからかうものが居た。余りにしつこいので喧嘩になった。グランドの隅まで追いかけていき、彼の上に馬乗りとなり持っていた物差しで思い切り額を叩いた。額の一部がぽっかりと虫でも居るかのように見る見る盛り上がった。少年はびっくりした、相手が死ぬのではないかとも感じた。少年自身血の気の引く思いをしながらその場を去った。そのクラスメイトとはそれっきり話もしなくなった。 
 中学三年生の時である。自転車で散歩していたところ、たまたま通りかかった違うクラスの生徒がいきなり持っていた竹の棒のようなもので殴ってきた。横腹というか背中というかかなり痛かった。自転車に乗っており自由がきかないのをいいことに、相手は二度三度と殴ろうとした。さすがに青年は怒った。追いかけた。相手は青年が本当に怒ったのを感じたのか少しひるんだが、逃げ足は速かった。自転車の入り込めない畦道に逃げこんだ。それでも余裕があるのか笑いながらこいこいと手招きした。自転車を降りて追いかけたが、すばしこい相手で、逃げられてしまった。自転車を放置したままにしておくわけにもいかなかった。
 翌日学校で隣のクラスに居る名前も知らない相手を見つけ、殴ろうとした。しかし周りから直ぐに邪魔が入った。相手の周りも青年の周りも止めに入るものが多数居て結局殴れなかった。説明しようとしても誰も分からなかった。学校では決着つけられないと感じた青年は、放課後相手を探した。そして相手の家を見つけたが、直ぐに家の中に逃げ込まれた。家の中まで入るわけにはいかなかった。青年は相手が出てくるのを待った。暗くなると今日は駄目かと諦めた。二、三度直ぐ近くまで追い詰めたがやはり家の中に逃げ込まれた。そのうち、昼間は他に誰も居ないようであることに気付き、窓かドアを蹴破ってでも入っていこうかと思ったが、そこまではしなかった。そこまでやると自分の方が悪い事になるとも感じた。青年は辛抱強く相手の家を見張った。どれ位続けたか定かではない。二ヶ月あるいは三ヶ月位続いただろうか。あるとき、家の中に逃げ込まれる前に捕まえた。ドアの前で思い切り相手を殴った。何故か相手は抵抗しなかった。抵抗しないものをそれ以上殴れなかった。少なくとももう二、三発は殴っておかなければ気の済まないものであったが、青年は「下らん事をするな」と言ってその場を去った。
 青年の別の性格、あるいは交友関係の乏しさを示す例で、こういう記憶もある。
 青年は人がどのようにして生まれてくるのか、中学二年のときまで知らなかった。
 小学三年生の頃であろうか、家庭の中で「誰は母似だ、父親似だ」等ということが話題になったことがある。その時青年(少年)は即座に「父に似るわけない」と言い放し、その瞬間、座がスーッと白けてしまったのを覚えている。青年は、女性は大人になると自然に子供を生むものと思っていた。その論理からすると子供が父親に似る事はあり得ない。その場に父親がいたかどうか記憶にないが、決して父親を否定するという意味での発言ではない。性交渉なるものがあることを知らなかった。小学三年生の頃から勃起することはあったがその意味はまるで分かってない。ただ、先っぽに触れるとある種の快感があるのは感じていた。銭湯に行って、洗っているうち勃起してしまい、やっと湯船に逃げ込んだものの、湯船から出られなくなって困った経験も何度かある。
 誰の小説だったか「山の頂上まで走って行け、例え何が聞こえてきても決して振り返ってはならない、振り返ったりすると石になる」というのがあった。その小説では、母親からの助けを呼ぶ声が聞こえ思わず振り返ったが、結果はそれが正解(母親の助けを無視するような心では駄目という事らしい)で、石にはならなかったということだが。これと関連し小学高学年のとき家で一人で居るとき勃起してしまい、何故か素裸になり家の中を歩きまわったことがあるが、その時石になるというのは本当かもしれないとさえ感じていた。
 中学一年の時の理科の授業でオシベとメシベがくっついてというのがあったが、受粉とか受精などという意味は全く理解できていない。
 中学二年のとき始めてその事を知り、周囲のクラスメイトに本当に何をしないと子供は生まれないのかとしつこく尋ねた事がある。クラスメイトからは「お前何を言ってるんだ、当たり前の事だ、お前って初だな」と笑われた。ただ、青年にとって、遅かったが故かもしれないがこのことを知ったときの感激というか、それはそれは大変なものであった。
 高校時代の記憶に戻る。青年にとって高校時代は受験勉強と性格の弱さを克服したいというときであった。性格の弱さを克服したいと宗教関係の本やヨガの本を読んだりしている。また直接は関係ないが、何かの参考になるのではとフロイドの翻訳書を読んだり、一方で勉強のため記憶術といった本も読んだりする。
 高校三年の時であった。数学の教師にやや変わった人がいた。授業中に催眠術の実験をしたのである。ある生徒に催眠を掛けた。その生徒は、歩けなくなったり、物が持ち上げられなくなったりしたが、決定的であったのは、昨年臨海学校で行った海辺が今どうなっているか見てみなさいと暗示をかけられたときに、その生徒がありありと本当に見えているかのように言ったことであった。透視とか遠隔透視とか言うらしいが青年は不思議に感じた。これは自分の性格を強くするのに役立つかもしれないと感じ、またこのことを勉強してみたいとも思った。それ以後、催眠関係の本を読んだりした。その教師に実際に催眠を掛けてもらってもみた。ところが青年は催眠にはかからなかった。二回ほどやってもらったが駄目であった。「手が軽くなって上に挙がる、両手がくっつく」等と言われても簡単にそうなるものではなかった。結局、青年は教師から「お前は我が強すぎる」と言われた。我が強いってどういうことですかと尋ねたくなったが、言わなかった。
 自己催眠というのであろうか自分でも何度か試みたが掛からなかった。ただそれに対する興味は残った。決定的という表現をしたのは、それが青年の大学受験に際し進路決定の役割を担ったからである。催眠を勉強したいと思い、その方向を選んだ。それは、心理学で専門的にやっているらしいが、医学の方が何となく実用的かなと医学部を選んでいる。
 高校時代青年はよく勉強した。性格的弱さと闘いながら、学校に行っている時間とは別に毎日数時間以上、日曜日など十時間以上勉強していたであろうか。ただ、勉強の仕方は変わっていた。学校の授業はほとんど無視、自己流の仕方であった。例えば、英語など単語さえ覚えておけば何とかなると思い、単語帳を丸暗記しようとした。能力の限界を感じざるを得なかったが、そうしたやり方であった。よく振り出しに戻った。覚えてないから単語帳のAの所に戻ってしまう。お蔭で、ALLOW許す、与えるだけは忘れない。古文もそうであった。単語を覚えてしまえと思った。ところがそれが出来ない。古文の成績は惨憺たるものであった。漢文はもっとひどかった。何をどう覚えればよいか分からなかったのである。ただただ、中国の人って頭が良いのだと思った。受験には漢文は捨てて掛かった。その他、受験に関係ない科目は徹底的に無視した。生物という科目は、医学部を目指すのであれば必須のものだが、医学部に行こうと決めたのは高三の時であり、それまで受験科目から外していた。生物の試験はいつも欠点すれすれであった(100点満点の30点以下であった記憶がある)。
 保健体育の授業など、教師の顔色を見ながら英語の単語帳とにらめっこ。時にはそれにもくたびれて、授業をさぼり、バドミントンをして気晴らしした。それがばれてその教師からこっぴどく叱られた。場合によっては単位をやらないぞという厳しいものであった。「なぜ授業に出なかったか」と聞かれ返答に困った。受験に関係ないからだとは言えない。ただ「授業がよく理解できないもので、つい」としか言えなかった。その返答に教師が納得したとも思えなかったので、現実に卒業できるかどうか心配はあった。
 青年は本当に無口であった。一般には大人しいと言われていた。よくしゃべる人はなんと凄い奴だと尊敬していた。無口であることは無能の証拠だと思い、劣等感を感じていた。ただ中学生のときであろうか、ふと、無口と成績、あるいはよく喋るのと成績は比例しない事に気がついた。改めて他の人たちが何を話しているのか観察した。大体くだらない事を話していると思った。青年自身には余り興味ない話題が多かった。青年は少し安心したが、逆に他の人に比べて自分は興味を持つことが少ない人間なのかなとも感じた。


あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 

















 あとがき

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 著者プロフィール

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本の誕生秘話

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関連書籍の紹介

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 読者感想文

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