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「宇宙の幸せに結びつけるのに、『どんなヒモがいいのかな』と悩んでいる と、神様から『七色のヒモを降ろしなさい』と言われました。
『あっ、そうや、七色のヒモだ! どうか、七色のヒモを降ろしてください』
と、念じたとたんに、この地球上に七色のリボンが降りました。

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         西村妙子 著





 天から降りてきた お母さんの七色のリボン





                                   明窓出版



















   推薦の言葉
●●●●●推薦の言葉の中身●●●●●

































  まえがき

 本書を書かせていただくには、宇宙根元の神様、アメノミナカ主の神様、薬師如来様、千手観音様、阿弥陀仏様、弥勒菩薩様、大黒様、普賢菩薩様、虚空蔵菩薩の大いなるお力をいただきました。
 本当にありがとうございます。



























   もくじ


 はじめの一歩 ………… 4
 神様からのメッセージ ………… 10
 母の魂のお詫び ………… 11
 魂のお詫び、再び ………… 12
 輪廻転生\肉体は忘れても、魂は忘れない ………… 13
 幸せへの道 ………… 15
 雲がくれたエール ………… 15
 初日の出 ………… 16
 吉崎御坊 ………… 16
 東京へ ………… 19
 天から降りてきた七色のリボン ………… 21
 天王寺で ………… 23
 宇宙根元の神様 ………… 27
 魂の母 ………… 29
 カルマ ………… 30
 わが子 パートT ………… 31
 わが子 パートU ………… 33
 わが子 パートV ………… 34
 亀 岡 ………… 36
 平泉への旅 ………… 37
 大神島 ………… 38
 カムイの地 ………… 43
 奇 跡 ………… 48
 礼儀礼節 ………… 53
 荻原さん ………… 55
 霊 障 ………… 58
 魂の喜びと癒し ………… 60
 終わりに ………… 62
 お手紙 ………… 67
 十一月八日 母急逝 ………… 77


























 はじめの一歩






 この本は、私がこれまで、神様から数々の体験をさせていただき、いろいろな方を通し金銭的な事、病気、お商売の事等、ありとあらゆる事を経験し、解消する方法を教えていただいた道のりを著した本です。

 私は、平成十一年頃から、本格的にこのような力をいただくようになりました。
 以前は、いろいろな新興宗教を数知れず行っておりました。
 私が西村家に嫁いできた時には、家族は八人、舅、姑、主人の兄弟二人、姉妹三人の家でした。
 その中で、姑、登志子との関係は、悲しく、辛く、私にとっては大変な苦労でした。その頃、自分が幸せになりたい、この苦しみから逃れたいばかりに、あちらの宗教に十年、こちらの宗教に十年と行きました。
 でも、そのおかげでいろいろな勉強をさせていただきました。
 そのうち、苦しいことやいやなことに遭遇(出会う)するのは、すべて自分自身に原因があると教えてくださる方があり、私は、それを信じてまいりました。

 その頃、私は実の母と一緒に、ある勉強会に参加しておりました。一、二年ほどは母は元気でありましたが、だんだんと身体が不調になり、みじめな姿を見せるようになったのです。
 後から勉強会の友人に聞いた話では、母がお腹が空いてたまらなくなり、勉強会にお店のパンをよく持ってこられていた方のそばに寄って、「今日はパンかおにぎりをお持ちではないですか」とたずねる哀れな姿でした。
 本人は辛抱しているのですが、いわゆるボケとは全く違いますので、母にとっても本当に辛いことでありました。
 そんな母を、私は勉強すればよくなると、いやがる母を強引に、住まいの京都から大阪まで連れて行っておりました。
 しかし、母はいっこうに良くならず、頭がボーッとしたり、夜も眠れなくなったり、体のあちこちの具合が悪くなったり痛くなったりと病名のつかない病気になりいろいろで、夜、昼となく私に電話をかけてきました。
 その度ごとに、心が痛む私でありました。
 しかし、私にはどうすることもできず、病院にも連れて行きましたが、どこも悪くないとの事で悲しく苦しい連続でした。
 そして、とうとう私は神様に『母がこのような状態になっている原因はなんですか。悪いところは何なのですか、どうぞ教えて下さい』と神様に念じ、夢で教えて下さいと願ったのです。
 その夜の明方でした。
 私は龍、龍と声なき声で目が覚め、はっと思ったのです。『あっそうか! あれは巳さんではない。人間の霊だ』とわかったのです。
 話は三〇才頃の私にもどります。
 姑とのいさかいの辛さから、いろいろな所へ行っておりました。ある所であなたには巳さんがついていると言われ、その巳さんが成仏される様、日参していた時がありました。その時は、私は巳さんに守られていると思い込んでおりました。違う所へ行った時、また、
「あなたの身体の中に巳さんが入っています」
「どうしますか」
 と言われたのです。私は、「どうか身体からはずしてください」とお願いし、さっそく身体からはずしていただき、私の名前の妙の一字をとって妙子白龍弁財天の名をいただきました。そして、この巳さんをお祀りすることになりましたが、当時、私は嫁いで年も浅かったので、母の配慮により母に祀ってもらいました。
 その母も高齢になってきて、先々の事を案じ、私が巳さんを手元でお祀りする事になったのです。
 その頃、私は朝起会や、今で言う手かざしの新興宗教にも行っており、そこで「大光明」というお掛けじ(掛け軸)をいただいておりました。
 いろいろな貴重な体験もさせていただき、お教えいただいていたのですが、やはり巳さんをお祀りすることがいやで、ある宗教の先生をお訪ねしたのです。
 その結果、車で南に十五分の所にある、池に流しなさいと言われ、流しに行きました。その巳さんが声なき声で現れた龍であったのです。
 龍は巳さんではなく、まさしく人間の霊であり、私の先祖霊であったのです。巳さんが私に付いていると言われたことが間違いであったとはっきりと気付きました。
 人の想念には、恨みつらみ、ねたみのようなねっちりとしたものもあり、私のケースはそのような思いが巳さんという象徴的な形をとっていたのです。
 霊能者といわれる方々は、レベルの高さで見える所が変わってきます。私達も物の全体を見ず、一部だけを見て実体とはまったく違った物を思い描くことがあるように、見えるものがいろいろな形をとるということです。そして、人間にはヘビのような動物霊は付かないのです。
 その先祖霊は、『あなたをだまして申し訳ありません』とあやまられ、旅立たれました。

 こうした事があったにも関わらず、やはり母は苦しんでおりました。それで、神様に何が悪いのかをお尋ねすると、『妙子が悪い、妙子が悪い』と返ってきます。私はこんなに母のことを思い一生懸命尽くしているのに、いったいどこが悪いのかと、涙がこぼれてきました。
 私の胃は痛み、穴が空くかと思われるほどに苦しみました。本当に辛く、苦しい日々でしたが、この母のおかげで神様に導かれ、今日の私があります。
 神様からのメッセージ 

『神様、ありがとうございます』と心で念じていました。すると、私は何かに導かれるようにペンを持ち、紙に文字を記し始めたのです。
『よくここまでがんばりましたね。ほうびをつかわす』
 神様がくださった言葉が、目の前に表されました。
『本当にありがとうございます』と、また心に思いますと、文字が表れてきます。
『よくここまで、かずえ、そなたの母上を導きました。素晴らしく、また大変な辛抱であった。これからは心配はいらぬ。平穏おだやかに暮らすことができます。
 また、あなたの本来の姿は人を導き癒すこと。あなたがこちらに来られた時には素晴らしい席を設けて待っております。楽しみにしていてください。登志子(姑)の件ですが、もう少しの辛抱です。よい花が咲きます。
 登志子も悪い者ではなく、口が悪いだけなのでどうか優しく見守ってやってください。必ずあなたにお礼と感謝の言葉をかけて他界します。
 それまで付き合ってください』

 母の魂のお詫び

 この日、再び自動書記のようなことがありました。
 堀井かずえ(実母)。
「私、前世は尼でした。申し訳ございません。私、勘違いをしておりました。
 本当におろかな私でございました。私は気位が高く、仏につかえる身でありながら、自分勝手なことをいたしまして、申し訳ございません。
 神様が罰を与えることはごもっともです。
 どうか今の私をお許しください。
 神を信じず、形だけは立派にいたしまして説教をして、いばっておりました。
 御仏様は、今の私に罰を与えてくださっています。
 今の私の娘にご迷惑をかけて申し訳なく存じます。
 大日如来様、宇宙の神々様、本当に長い間見守ってくださいましたことを、切に、切に感謝でございます。なにとぞなにとぞ、お裁きありがとうございます」

 との自動書記で母の魂がお詫びをしている様です。
 
 魂のお詫び、再び

 再び、母の魂の言葉です。

『ありがとうございました。本当に長い間ご苦労をかけて真に申し訳なく思っております。
 長い長い間、時間をかけ心休まることなく、私のために心をかけてくださったことは誠に申し訳なく思っております。
 これからも命あるまで見守ってください。
 切にお願いいたします。』
 
 輪廻転生\肉体は忘れても、魂は忘れない

 私は本当に母親を大事に思っておりました。ところが思いがけない私の魂の叫びにびっくりいたしました。

『あの者(母)が憎い! あの者が憎い!
 当たり前の姿。当然の報いです。
 これが神様の掟です。
 自分がそのような道を選び、苦しみは当然のこと。
 可哀想なことは何も無い。
 もっと苦しむべきである。
 でも私も苦しみ悲しむのは、当然の報いでしょう。
 以前の私も同じようなことをした故に、この者(姑)に会ったのでございます。
 どうかこれで尼の時のこと、今回の登志子のことで私の罪をお許しください。
 神様、どうかよろしくお願いいたします。』

 このようなことが出てきたということは、人は本当に輪廻転生をしているということです。
 前世の母が尼であった時、私も同じく尼であり、私と非常に仲のよかった尼が、母の身勝手な傲慢さから命を落とした時の悲しみや憎しみ、うらみを魂が覚えていたということになります。
 良きことは良き種を、悪しきことは悪しき種を蒔き、そこから出てくる芽は自分が刈り取らなければならないという神様の平等の法則です。
 人はこれをカルマと言ったり、因縁と言ったりしています。
 これは私と母の魂の間のやりとりで、初めての体験でした。
 
 幸せへの道

 おろかな私です。神様から平穏おだやかと言われれば、今日から、今からでもすぐに私の思っているようになると思ったのは、大きな間違いでした。
 神様が幸せになれる道を、これから教えてくださるとのことでありました。
 やはり、私の心は晴れませんし、母親も相変わらず同じことを言っており、私にとっては苦痛でした。

 雲がくれたエール

 私は木津川の堤防へ上り雲を見ながら、『雲さん、私が一生を終えるまでに登志子が怖い、嫌い、そして怯える心が無くなりますか』と雲に訊き、『もし、その心が無くなるのであるならば、雲よ! 半分に割れてください』とお願いしました。
 すると、雲はみごとに半分に割れ、消えてなくなったのです。その日の夜空は満天の星が輝き美しく、『しっかりと生きなさい、行きなさい』とエールを送ってくれているように思われたものでした。
 しかし、その後もなかなか私の心は晴れませんでした。

 初日の出

 初日の出 拝むことなく 涙を流す

 あるお正月に、突然にこのような句が浮かんできました。
 あまり明るい句ではありませんが、俳句などそれまでに詠んだことのない私でありました。

 心の傷はまぼろしのごとく うたかたの泡のごとし

 吉崎御坊

 その日は風邪をひき高熱を出した姑が入院をしておりました。
 朝八時半に看病から戻り、その足で友人と福井に行きました。
 妙な話ですが、姑が入院しているお陰で私は福井に行くことができたのです。
 神様から、『福井に行きなさい』とのメッセージで、なんの下調べも無しに出かけました。この日は、七箇所を訪れるようにと言われていました。
 私達は、福井で降りるつもりでおりましたが、芦原まで行きなさいとのことで、芦原温泉口にて下車しました。
 さて、ここから先、どこに行けばいいのか分かりません。
 友人がトイレから戻ってきて、涙ながらに「蓮如が待っている、蓮如が待っている」と言うのです。
 そこでタクシーに乗り、運転手さんに「蓮如さんの所に連れていってください」とお願いすると、「はい、吉崎御坊ですね」と走り出しました。
 その車中で運転手さんはこの土地に伝わる鬼の肉付き面の話をしてくれました。
 それは嫁と姑の話で、『ああ、それは私ですね、その鬼の面は私もかぶっている』と思ったものでした。

 そのお寺に着いた時、声なき声が聞こえてきました。
『私の娘をよくここまで連れてきてくださいまして、ありがとうございました』
 と、聞こえたのです。
 その娘とは、一緒に行った友人のことでした。
 蓮如さんは続けてこう申されたのです。
『ここ福井の地震で多くの方々が命を落とされました。その方々を供養してあげて下さい。私もあなた方と一緒に参ります』
 このお言葉で、この旅の目的が初めて分かったのです。そこで、海岸に出て七箇所に於いてご供養をさせていただきました。
 気が付くと、石川県まで入っておりました。周りには何もなく、尋ねる人もおりませんでしたが、歩いているうちに、一つの建物が見えましたので、そこへ行って事情を話し、タクシーを呼んでいただきました。
 辺ぴな所なので「すぐ来ます」と言われましたが、雪も降ってきました。
 私達はもう一箇所、行かねばならない所が残っていましたので、若いタクシーの運転手さんにお願いすると、気持ちよく行ってくださいました。
 お陰様にて、無事七箇所のご供養をさせていただきました。ありがとうございました。

 この事が、私の個人を超えた公の仕事始めでした。
 神様からあそこに行きなさい、ここに行きなさい、と言われて行かせていただく時は、ただ、ただ、言われた所に出向きます。その先々において、本当に必要な道案内をいただく体験をさせていただきました。

 東京へ
 
 今度は、友人二人と私の三人で東京です。
 目的地も分からないまま東京に着き、タクシーの運転手さんに地図をさして、「こちらの方に走ってください」と言います。
 運転手さんは観光案内の様に「ここは以前将校さんがおられた所です」と説明された所で、私達は「ここで停めてください。私達が行く所はここです」と降りたのです。
 そこは九段会館。二二六事件で多くの若い方々が命を落とした所でした。
 友人の一人に、そこで酒を飲み交わしている将校さんが見えられ、不案内な東京の地でしたが、酒屋さんを探し、お酒を買い求めました。そして、お酒を供え鎮魂の意を表しました。
 もう一人の友人が、まだ行く所があると言います。靖国神社でした。
 ご存じの通り、戦没者の遺霊が祀られている神社です。
 おおぜいの方々がおられました。
 皆様のご供養させていただいている間、最後の最後までおられた方が、大将で指揮をとられていた方だと思われますが、大きな責任を感じておられ、皆様にお詫びをされておりました。
 最後には、私達にお礼を言われて行かれたことを思い出します。
 靖国神社の白ハトが、今度は私達にありがとうと言うがごとく近寄って来て、いっせいに空に飛び立っていきました。また、私達は『皆々様が天高く帰られたのだなあ』と、安堵する思いでした。
 

 天から降りてきた七色のリボン

 前でお話しいたしましたように、私の母の精神状態が優れず、体調もぐずぐずしており、本人のカルマとは言え、そのような様子を聞いたり見たりするのがつらい毎日でした。
 でも、私はどうしても母に、幸せに、楽になってほしいと思う心でありました。
 山田さんという友人と話していたところ、彼女が、「お母さんを宇宙の幸せのヒモに結びつけたら」、と言われました。
『ああ、本当にそうだな』『でも、何で結ぼう。荒縄で結ぼうか? でも、荒縄では痛いしな。リリアンで結ぼうかな。でも、ツルツルして結びづらいだろう……』などと思っていると、神様から『七色のヒモを降ろしなさい』と言われました。
『あっ、そうや、七色のヒモだ! どうか、七色のヒモを降ろしてください』
 と、念じたとたんに、この地球上に七色のヒモが降りました。
 七色のヒモと聞いた私は、吹き流しや、虹、太陽の光で七色に輝く水しぶきなどが即座に胸をよぎり、美しくも楽しい何ともいわれぬ感動と喜びを感じたのを鮮明におぼえております。

 その後からは、地球の浄化をさせていただきました。
 私達は、自分のエゴでこの地球を汚し、傷つけています。『人間は傲慢です』と申されています。
 私はこの地球と地球上の全ての生命体に、心からお詫び申し上げました。

 私の住まいの最寄り駅から、いくつか先に向島という駅があります。この地には、昔、小倉池という大きな池があり、ひし(水中で生息する植物の一種。実は千年前より食用されていた)がたくさん採れていたそうです。
 戦後の食糧難の時、この池を埋め立てて田んぼにしてしまいました。この池で生きていた生物達が、生きる場所を奪われ、絶滅したことと思います。
 その生命体に対しても、お詫びをいたし、土地には地場調整をさせていただきました。

 天王寺で

 朝一番の電車で天王寺へ行きました。
 天王寺から歩き、人の目が気になり恥ずかしいという思いを持ちながらもさせていただきました。
 左に回りなさいと言われ歩いて行くと、そのうち阿倍野警察署の近くまでくると、今度は左に入りなさいとのこと。
 しばらく行くと幼稚園か保育園のフェンスかと思われる所に出ましたが、私にはそこが、異様な場所に感じられたのです。
 そのフェンスには、子供達が作った顔が一〇〇とも二〇〇とも思われるほどたくさん取り付けられており、私にはここで、戦争の時、大勢の方が犠牲になられたのだと直感いたしました。
 私は思いを込めて犠牲者の方々のご供養をさせていただきましたが、恥ずかしい思いで、人目をさけてさせていただいた私でした。

 また、大西洋プレート、アメリカ太平洋側のプレート、日本海海域の太平洋プレート、ユーラシア大陸プレート等々、たくさんあって全部思い出せませんが、地球の主要なプレートの地場調整もさせていただいたことがあります(※プレートは、地球表層をおおう固い岩石の層)。

 話は飛びますが、その前の月に、前出の友人、山田さんと共に、三朝温泉に行かせていただきました。
 その夜、夕食後に山田さんがチャネリングをされました。そして、
「アメノミナカ主の神様が来られています。妙子さんが聞きたいことがあればどうぞお聞きになってください」
 と言って下さいました。
 私はさっそくに、この年になっても今だに登志子さんを怖いと怯える自分であること、悲しく苦しいことを話し、どうしたらよいですかと神様にお尋ねしました。
 すると、神様は『登志子さんが悪いのではありません。あなたの中にあります。今日は、時間がたっぷりありますので、ゆっくりとさがしてください』と言われました。
 その時は、『登志子が怖い、登志子がいるから怖いんだ、私は怯えるんだ、登志子がいなければ怖くはない』と思っていた私でしたが、露天風呂に入って一人で浸かっていると、『神様はゆっくりと時間をかけて探してくださいと言われていたな』、とフッと素直な気持ちになり、目をつぶりました。
 やがて、年の頃、十歳くらいの男の子が出てきて、『お母さん、ぼくは何も悪いことをしていないのに、牢屋に入れられて、怖いよ、怖いよ』、と泣くのです。
 その露天風呂には大きな石と小さな石が置かれておりました。私はその小さな石を子供に見立てたのです。その石をなでながら、『可哀想にね。つらかったね』と、一緒に涙を流しました。私は、怯えて泣いているその男の子に、『これから一緒に神様の所へ行って癒してもらおうね』と、宇宙に向かって想念で飛んだのです。
 そして、フーッと帰って来た時には、その男の子はおりませんでした。そして、その男の子は、まさに私自身であったことに気付いたのです。
 これが、私の怖れや怯えのトラウマであったのです。
 それからは登志子さんを怯えることも少なく、軽くなりましたが、長い間身に付いた怯えグセはいまだに残っております。
 それでも、月日の流れの中で、傷もだんだんとよくなってきています。

 それからの私は、自分の心の中を見つめること、自分を素直に見つめ直すことをいたしております。
 これは、簡単なようで、なかなか難しいことです。悲しくなったり、心がクサクサしてきた時は、自転車で木津川の堤防まで走り、草の上に寝ころんで、周りの山々を見回したり、鳥の声に耳を傾けたりしているうちに波だった心が静まってまいります。

 宇宙根元の神様

 この日の太陽は特別素晴らしく思えました。堤防では、露に濡れた草木が太陽の光をサンサンと浴び、まるでダイヤモンドを散りばめたように輝き、それは美しい情景を見せてくれていました。あらためて、自然の作り出す造形、ハーモニーに胸打たれ、大感激いたしました。
 私は、『今まで自分が出してきた悪想念(思い違い、勘違い、自分勝手な思いやふるまい等)を、どうか愛や優しさ、品位、叡知に変換してください』と祈りました。

 その次の日、堤防にて朝日を拝ませていただいてから空を見上げておりますと、雲が流れて太陽を遮り、又日の光がさしてきました。それが繰り返される情景は、まるで私達の日常のようです。照る日もあれば曇る日もあり、雨が降る日もありますが、また日が照ります。照る日は、必ず戻ってくるのです。曇りだけ、雨だけの日々ではありません。『ジタバタせずに、照る日がくるまで待つという智恵を持ちなさい』と、自然は私に教えてくれました。

 ある日の早朝六時十三分、堤防にて太陽に手を合わせていると、『宇宙根元の神は私です』、と太陽が語りかけてきました。
 私は、手を合わせることを教えてくださった方々に、深い感謝を感じました。今、こうして手を合わせる事をさせていただくことにおける神聖さ、精妙さを感じずにはおれませんでした。
 堤防のそばの公園に落ちているゴミは、まるで私自身。私の心の中の汚れを表しているように思われ、そのゴミを拾って公園をきれいにすることが、まるで自分自身を清めていくようで、楽しみにもなっていました。私が、あまりにもその思いに夢中になっていましたところ、『執着を取りなさい。何事もほどほどが大切です。たとえ良き思いでも、度をこせばそれは執着です。そして、自分も、他の方々も、何事も許すことです』と太陽は私に話しかけてくださいました。
『この世の人達は必ず皆、私のもとに帰ってきます』こう太陽は言われました。
 

 魂の母

 先に記しました、「大光明」のお掛けじのことですが、ある方から「このお掛けじはあなたの神様です。必ずそれが分かる時がきます」と言われたのが、もう十年も二十年も前のことです。
 ある日のこと、一人で部屋でインディアンセージ(ハーブ)をたいて静かに胸をなぜるように、自分の中の汚れをはき出すようにしていると、突然、心の関が切れたように甦りました。
 私は、「お母さん、お母さん」と声をあげ、泣きながらそのお掛けじに走りより、すがり付きました。「お母さん、私は長い長い間、旅をしてきました。苦しかった。悲しかった。辛かった」と、大声を挙げて号泣いたしました。
 その時、『よくここまで来ましたね。よくここまで来られましたね』、と、本当によくがんばったねと優しく抱きしめていただきました。
 その日からは、産んでくれた母親よりも私の本当のお母さんは弥勒菩薩様です。私は『私はこれからどのように生きたらよいのでしょうか』とお尋ねしました。
 すると、『傲慢にならないように。傲慢だけにはならないように』と繰り返されました。

 カルマ

 多くの人は、今の人生が終わると自分はなくなると思っていると思われます。
 しかし、魂はアトランティスやムー大陸の時のこと、何億万年前のことまでも覚えています。

 私は犬の散歩を日課にしております。
 ある日、いつものように犬の散歩をしていると、突然に『こんなはずではなかった! こんなはずではなかった!』という胸が突き上げられるような思いが湧き、泣きました。そして、叫びたい衝動に駆られたのです。
 その時、私には何のことか分かりませんでしたが、後に、アトランティスの時代に自分が生きていた時、たとえば今ある原爆やダイナマイトのように、最初は人の役に立つ物、良かれと思う気持ちで作ったものが、いつのまにか形を変え、質を変えて、人々の喜びを悲しみにし、幸せを破壊してしまっていたことを知りました。
 カルマ、因縁という言葉からイメージするのは悪いことだけに思われるかもしれませんが、本当は良きカルマ、良き因縁もあります。ただ、人は良きことは当たり前、と心に留めないので、悪しきこと、苦しいことのみをカルマ、因縁と忌み嫌います。
 魂の長い旅の中での出来事、良きことも悪しきこともすべて自分が蒔いた種なので、悪しき芽が今の自分に生えてきているのならば、それは自分の責任において刈り取らねばなりません。神様は常に皆に平等であるので、不幸に思えることも実は平等なのです。

 わが子 パートT

 私には二人の息子がおります。わが子を誉めるのもおかしなことかもしれませんが、本当に心の優しい子供達です。
 この話を記させていただくには、涙をこぼさずにはおられません。
 姑とのいざこざが絶えなかった私を、子供達は本当に心を痛めて見ていてくれました。

 私は週に二日、仕事をしております。
 ある時、次男が私の仕事を見る機会がありました。次男が二十歳ぐらいの時だったと思います。仕事の後、次男は、「お母さん、僕、嬉しかったよ」と言うのです。
「何が嬉しかったの?」と聞くと、「お母さんがニコニコして仕事をし、職場の人とも仲良く働いている姿が嬉しかった」と言うのです。そして自分が子供だった頃、兄と二人で『神様、どうかおばあさんがお母さんの悪口を言うのをやめてください』と祈った話をしてくれました。
 私は、自分がどんなに幼いわが子の心を痛め、傷つけていたのかと思い、本当に申し訳なくなりました。また、わが子の優しさが嬉しく、涙がにじんできました。
 わが子よ、ありがとう。


 わが子 パートU

 息子が就職して一年も経たない頃だったと思います。
「僕、仕事をやめるかもしれない」と、食事もできないほど悩んでおりました。訳を聞いても、話してくれません。
 そのうち、弁護士さんに相談したいが、心当たりはないかと尋ねるのです。
 ご近所に以前裁判官をされて、当時は弁護士をなさっている方がおられましたのでお願いしましたところ、気持ちよく引き受けてくださいました。
 息子が一人で伺い、帰ってきました時には、元気な顔に戻っておりました。
 弁護士さんに、「そのようなことで仕事をやめたくなるのは、人生の内に何回も何回もあるよ。もっと強くなりなさい。必要があれば、私も出ていってあげるから」と励ましていただいたそうです。
 親でありながら、わが子にしてあげられなかったことを他人様にお力をお借りしましたこと、感謝に絶えませんでした。
 この方はもうこの世にはおられませんが、本当にありがとうございました。お世話になりました。

 わが子について V

 その十年ほど後のことです。
 職場で人事異動があり、息子が新しい部署に移った後のことです。それから息子は、食事も喉を通らず、夜も眠れない状態になっておりました。
 主人は五月病だと言いましたが、悩み、苦しんでいるのが他人の目にも分かるほどで、だんだんと重い鬱状態に入っていきました。
 それでも仕事は休まずに行っておりましたが、本人はどんなに苦しかったことだろうと思います。
 そのうち、三十歳近い男が、夜も一人で寝られないほどになり、私にへばりつくようになってまいりました。
 まるで、幼子に戻ったようでした。
「上司に迷惑をかけた、辞めなければならないかもしれない」と泣く息子を責めることなく、咎めることもなく、「辞めてもいいよ、大丈夫だよ」と言いました。
 私は、おおぜいの皆様の病気、仕事やお金の問題、登校拒否など、あらゆる悩みを神様のお導きで癒してきておりました。
 喜んでいただいた皆様と同じように、わが子が仕事から帰りますと、毎晩私の前で正座をさせ、行わせていただきました。
 息子も反発することなく、素直に私に従ってくれました。
 十日あまりこのように息子のカルマを解き、思い違いを解き、息子はそれを受け入れて感謝をし、お詫びをしておりました。
 すると、薬師如来様が、『あなたは肉体の親として、よくここまで息子さんに尽くされました。これからは、魂の父である、私にまかせなさい』とおっしゃられました。
 そう言われましても、私も人の子、人の親です。大丈夫かな、本当だろうか、と心配いたします。そうすると、今度は私が神様から叱られるのです。
 そんなことを二、三日繰り返し、ついには信じる心だけとなって、息子を神様にお預けしました。
 今、この子はもとのように元気なわが子に戻り、お嫁さんをもらうまでになりました。
 本当にありがとうございました。

 亀 岡 

 以前より、「あなたがここまでの力をいただいたのは、神様の愛と、あなたに携わって協力してくださった多くの方々があったからですよ」と言われていました。
 名医も、始めから名医だったわけではありません。多くの患者さんがおられたからこそ、名医になられたのです。ですから、あなたは皆様をご招待しなさいと言われました。
 元気になった息子の車に八人、もう一台に五人と分乗して、亀岡のせいざん荘で神様のお計らいのもと、食事会をさせていただきましたこと、真にありがとうございました。
 その日は、素晴らしい五月晴れで、車中からの新緑も十分楽しませていただきました。
 平泉への旅 

 平成十四年一月十五日、十六日、十七日と、平泉へ二泊三日の旅に一人で出かけました。十五日、昼過ぎに旅館に入らせていただきました。
 その夜、自分のカルマや今生でいろいろとお世話になった神霊様方にお礼とお詫びし、許していただき、休んだのは十時を過ぎておりました。
 翌朝は十一時少し前に宿を出て、中尊寺に向かいました。
 中尊寺にはたくさんのお堂があります。
 言われるままに歩かせていただき、阿弥陀堂に着いた時です。
『長い長い旅をご苦労様でした。やっと私達のいる平泉・中尊寺にたどり着くことができ、おめでとうございます』
 と、声なき声が聞こえてきて、私は流れる涙を止めることができませんでした。
 毛越寺は真っ白な、それはそれは美しい銀世界でした。墨絵のようなモノトーンの世界、人影もまったくなく、自分の足跡だけが残る、何とも表現のできないような世界を歩かせていただきました。
 この平泉に参ります途中で、電車に乗り込む時にステップを踏み外したり、お風呂に入りました時も湯船の縁で滑りそうになったりいたしましたが、自分では目が悪いのでそのせいかとも思っていました。
 あらためて、自分が何か思い違いをしていないか、勘違いなど、不調和なことをしていたのではないかと振り返ろうとした瞬間、人生の旅の中で、転ぶ、滑るなどということに遭遇しても、よく立派にここまで来られた……、喜ばしいことだと感じたのです。

 大神島

 私は大神島を知りませんでした。『行きなさい』とのメッセージで、九州の地図を広げました。すると、沖縄と言われるので、沖縄の地図を出すと、まだ違うよう。今度は宮古島です。しかしそこも違いました。迷いつつ、行き着いた地図は、大神島でした。
 普通の地図では表せないほど小さな島で、宮古島に寄り添うようにある小さな小さな、人口四十人ほどの島でした。
 このようにして、ようやく自分達が行く所が明らかになったのです。私が出掛ける時はいつも、このようにして行かせていただいております。
 旅行会社に旅の手配に伺いましたところ、旅行会社の方が、「この島に入られる時には礼儀があるので、役場に聞いてから行ってください」と言われました。理由をお聞きしたところ、読んで字のごとく、大神島は、神様がいらっしゃり、かつて礼儀もなくテレビの取材が入って、不思議な事故が起こったとのことでした。
 さて、宮古島空港から車で三十分ほどで島尻港につきましたが、大神島への連絡船は少し前に出てしまっていました。
 それでもなんとかお願いして、船をチャーターしてようやく大神島に着くことができました。二十分ほどの船旅でした。
 やっと着いたものの、それ以上はどこへ行けばよいのか分かりません。いつものように、その辺を見たり、歩いたりしていましたが、やはりいっこうに分かりません。
 そこで、乗ってまいりました船の方に、「ここでお参りさせていただけるような所は、どこですか?」とお聞きしますと、「ここから拝んどき!」と、そっけない返事が戻ってきました。
 私達はすぐに自分達の不調和を感じました。そして、この地に無事に着かせていただいたことを感謝し、また、この地におじゃまさせていただいた、ご挨拶をいたしました。当たり前のことなのです。誰かのお家に伺った時、「こんにちは! おじゃまします」と言い、誰かに送っていただいた時は、「ありがとう。お世話になりました」と言うのが当然です。こんな簡単なことが抜けておりました。
 こうして礼儀を糺したとたん、前方から五十歳ぐらいの女の方が歩いてこられました。
 そこで、私はその方に、
「私達は大阪と京都から参りまして、神様からこの島に行くように言われました。これから、どこへ行ったらよいのでしょうか」
 と正直に伺ったのです。
 すると、その方は、
「ああ、遠見台ですね。今日は登れますので、ゆっくりしていってください」と言われ、登り口まで案内してくださいました。
 そこは、島外の人にはとても分からないような所にありました。案内いただいたことにお礼を述べて、登り始めました。ロープにしがみつかなければ危ういような急な斜面を登り、山頂にたどり着きました。
 この大神島は、島全体がピラミッドの形をしており、島というより、山のような感じです。
 島頂は、何もお祀りされていず、古神道のようでしたが、島を囲む海が三六十度見渡せる大パノラマで、息をのむスケールと海の色に魅了されました。それは素晴らしい所でした。
 まず、こちらに伺った意図をお聞きしました。
 そこで、世界のこと、日本のこと、また、人間のエゴで地球を汚し、破壊していることをお詫びしました。日本のことでは、小泉総理が愛と智恵と調和を持って日本のために働いてくださいますようにという祈りも込められておりました。
 ひとしきりお祈りさせていただいた後、大神島にお別れのご挨拶をし、夕方五時の連絡船に乗り、宮古島に戻って参りました。

 次の日は、船で二時間ほどの多良間島に渡りました。
 宮古島を出る際、お宿の方に「多良間島は何もない所で、バスも数本しかありませんので、出会った方にお願いして車に乗せてもらうといいですよ」と智恵をいただいておりました。
 島に着くと、そこは本当に何もない所でしたが、ちょうど何人かの人がおりましたので、あつかましくもお願いして、車に乗せていただけることになったのです。
 といっても、例のように行く先が分かっていませんので、とにかく走り出していただき、私がそこを右にとか、真っ直ぐにとかお願いしまして、着いた先は飛行場でした。
 確かに飛行機の予約は入れてあったのですが、このように到着するとは、ビックリでした。なにせ多良間に着いたとたんに、飛行場へと来ることになり、また宮古島へとんぼ帰りです。「いったい何しにきたんやろ?」という話になったのですが、やはり、浄化が行われていたとも思え、行くことに意義があったのかとも思います。
 その飛行機は、たったの九人乗りで、前後、左右のバランスをとるために、各人の体重と荷物を、まるでおすもうさんを量るような大きな量りで、量られました。
 とにかく乗り込んだものの、車に翼が生えたぐらいの小さなプロペラ機で、コックピットも個室になっておらず、客席からパイロットの方が操縦するのがよく見えました。
 離陸して、空に舞い上がりますと、もうその時は怖くて怖くて、生きた心地がしませんでした。
 そんな怖ろしい思いもいたしましたが、無事に宮古島の空港に着きました時は、友人共々、本当に胸をなでおろしました。
 皆々様、お世話になりありがとうございました。無事、京都に戻ることができました。

 カムイの地  

 この時は、九月一日に北海道に行きなさいと言われました。急な話でしたが、友人の一人の荻原さんに同行をお願いして、当日朝、十時三十分の札幌行きの飛行機に乗りました。
 札幌に着いてからは、車で移動するつもりでおりましたので、空港のレンタカーのカウンターに行きましたところ、トヨタ、日産、マツダのすべての車は出払っておりました。車がなければ動きがとれません。翼の無い鳥のようなもので、どうしようと思っていましたところ、少し離れた所に、三菱のレンタカーのカウンターがありました。ここになかったらもう最後かと思いながらも尋ねましたところ、幸いにも一台だけ残っており、翼を確保することができました。
 応対してくれた方に、「どこへ行かれますか?」と聞かれましたが、私達も行く先が分かっていません。地図を見せていただくと、私の指が指し示した所は、カムイの山でした。
 そこまでの行き方を説明していただき、まずは旭という所を目指すことになりました。
「まあ、とにかく出発しましょう」
 と、車に乗り込み走り出しました。
 荻原さんはとても運転が上手な方です。京都を出てから、飲まず食わず、休まずでしたので、一時間ほど走ったところにあった公園で、なぜか大阪で二つ買っていた三百五十円のお弁当を食べました。
 束の間の休憩の後、また車を走らせましたが、行けども行けども人に出会うことがありません。
『行き方は、運転される方におまかせしなさい』、と言われましたので、荻原さんに言いました。
「荻原さん、神様があなたに任せろとおっしゃっているので、お任せします」
「そんなこと言われても、私も分からない」
 と、荻原さんは三重弁で返されました。

 旭の地区に入った頃は四時頃になっていたかと思います。
 向こうに、カムイの山が見えてきました。
「妙子さん、これ以上は道も悪くて車も走りづらいし、歩いてあの山まで行ったら真夜中になるよ」と荻原さんは言われます。
 私も、『いくらなんでも神様はそんな無茶はおっしゃらないはず』と思い、二人で車を降り、ぐるりと周りを見渡しておりましたところ、荻原さんが急に声を上げて、
「妙子さん、妙子さん、鳥居があるよ。あれ……、鳥居じゃないかな」
 と指を差されました。その先には、確かに鳥居がありました。
 喜んで、その鳥居をくぐらせていただこうとご挨拶をいたしましたところ、『入らないで』と、突き返され、はじき飛ばされる剣幕です。冷たい勢いがありました。『エェ〜どうしょう』と思いました。私はまだ夏のことゆえ『虫やヘビがいるからかな』と一瞬、思いました。
 しかし、あまりに厳しく入ることを拒まれているような気があり、今度は神様にお聞きしました。
『私達は、このまま帰らせていただいていいですか?』
『いいえ』
『それでは、入らせていただいて、いいのですか?』
『いいえ』
『どうすればいいのですか?』
『その場に座りなさい』
 私達はその場で土の上に正座し、頭を下げ、まさしく土下座のポーズをとりました。
 心の中では『人が通ってこんな姿を見られたら恥ずかしい。なんと思われるだろうか』と思っておりました。これが、この時の正直な気持ちだったのです。
 そうして頭を下げていると、『歌を唄いなさい』と言われました。
 私達は、私が若い頃から好きな歌を、「夕やけこやけの赤トンボ……」と二人で三回合唱いたしました。
 すると、あの厳しかった声が優しい調子に変わり、『いらっしゃい。入りなさい』と招いてくださったのです。
 鳥居をくぐった先にはプレハブハウスが建っており、中には大きな鏡と御幣(神祭用具の一つ)がお祀りしてあり、横にはお御輿も置かれてありました。
 そこは明らかに神社でした。
 遠くに見えるカムイの裾野のあたると思われるこの神社には、カムイのご神霊様がおられたのです。
 その昔、私達の祖先である和人が、この地、カムイの人々を迫害し、苦しめたことを私達がお詫びし、お許しいただくことが今回のお役目でした。

 個人のカルマ、日本のカルマ、世界のカルマと、人間が傲慢であったことが、いかにこの地球を傷めてしまったことか……。カルマは必ず刈り取らねばなりません。
 神様、宇宙は優しく、私達が本当に分かれば、許してくださいます。
 予約も取っておりませんでしたが、その日の宿にも恵まれました。
 そして、この旅の最後には素晴らしいプレゼントが用意されていました。
 キタキツネたちの歓迎の出迎え、また一列に並んで見送ってくれた姿は、心に残る良き思い出です。
 夕方、六時少し前に車を返し、予定通りの飛行機に乗り、今回の旅も無事、果たすことができました。
 荻原さん、お世話になり、ありがとうございました。

 奇 跡

 晴、雨、曇りと、神様は天候も自由にされます。
 九州でのことです。五人で熊本の幣立神宮にまいりました。
 この旅は自分達が幸せになりたいとか、良くなりたいという願いをする旅ではありませんでした。
 世界が、日本が平和でありますように、世界の人々の愛と智恵と調和が発揮されますようにと願う旅だったのです。
 皆が祈りを終え、一日に二本ほどしかないバスを停留所で待っていると、雨がパラパラと降ってきました。
 こんな時、正しくしていれば、雨など降るわけがありませんので、私はハッとして、自分の不調和を糺すように意識しますと、太陽が顔を覗かせました。
 またしばらくすると、今度は傘をささなければおられないほど、雨が降ってきました。
 そこでまた、全員が一人一人の思い違い、不調和を糺し、お詫びをしますと、アッという間に雨は上がり、太陽が青空に明るく輝いたのです。
 その時を待っていたかのようにバスが来て、その日のお宿、高千穂峡へ行けたのです。
 世界規模、日本規模といえば、大きな大きなエネルギー規模ですが、それを作っているのは、一人一人の個人です。
 皆さん、どうぞ、『私一人ぐらい』と思わないでください。
 一人一人の不調和のエネルギーが合体すると、とてつもない大きなマイナスのエネルギーとなり、日本を汚し、世界を汚し、地球をも破壊することになります。

 阿蘇では、地獄温泉に宿泊いたしました。
 友人と三人で露天風呂でくつろいでおりますと、年の頃七十歳ほどのおばあさんがおられました。目が相当お悪い様子におみかけしましたが、その方が以前、この阿蘇で出会った方にとてもよく似ておられたので、確認したくてお声をかけたところ、別人でした。
 話をしているうちに、私が、
「目をどうされたのですか」
 とお聞きすると、目の手術をしたのだが、どんどん悪くなって、見えなくなってきているとのことでした。
『お気の毒に……』とおせっかいが出た私に、神様が『治してあげなさい』と言われたので、その方に、
「神霊さんがお礼がない、無視している、忘れている、とご立腹ですよ」 あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 




















 あとがき

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 著者プロフィール

西村妙子(にしむら たえこ)

1941年京都府城場にて生まれる。
高校卒業後いくつかの企業に就職。26歳で結婚、専業主婦となる。二人の息子に恵まれる。週二回のアルバイトは35年前より始まり現在も続いている。京都府京田辺在住。

本文挿絵は著者による






















本の誕生秘話

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関連書籍の紹介

 ●●●●●関連書籍の紹介の中身●●●●●























 読者感想文

 毎日のように仕事帰りに立ち寄っております書店にて、ふと目に止まった本、「天から降りてきたお母さんの七色のリボン」……何とも言えぬ心がホッコリする題名に心ひかれ、購入させていただいた一冊でした。ページ数も少なく、アッという間に夜の内に読み終え、感動いたしました。そして又、著者の方は女性で、私の住まいから近くにお住まいの由、余計とても嬉しくなりました!!   (大阪府 K)