古代史を知り、古代史を深める、古代史を身近に古代史と後醍醐天皇の関係

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天皇を知らずして楠木正成と足利尊氏は語れない!
今でも皇居前広場の一角に馬上ゆたかな、忠臣楠木正成の銅像が立っている。 日本が敗戦を迎えるまで、楠木正成は皇室を守る大忠臣として、また、人間の範とされていたが、戦後は一転して、人民に歯向かう悪党の一人であった様に言いふらされてしまった。
ところが戦後五十五年になるというのに現在まで、人民に歯向かったはずの悪党の銅像が倒壊されることもなく、今なお皇居を見守るかのごとく颯爽と立ち続けているのである。
日本国民のほとんどが国粋主義を嫌い、国家神道の存在を否定したにかかわらず、戦争推進の本尊ともいうべき楠木正成の銅像が何故破壊されなかったのか?
これは誠に不思議なことではあるが、実は破壊することの出来ぬ強力な力が働いていた。

前書き 目次 本文70%

本の誕生秘話 感想BBS あとがき 著者profile



















はじめに


有史以来、人間は心が大切か物が大切かということですべての人が苦しんで来た。宗教の盛んな時代は物よりも心が大切であるといい、科学の盛んな今日では心よりも物が大切であるという。
学問でも心によって物が生まれるという唯心論と、物によって心が生まれるという唯物論が対立して未だに決着がつかない。
それでは心が大切であるという人たちが仲よくやっているかというとお互いに考え方が違うということで、多くの宗教が対立し死闘を繰り返している。
また物が大切であるという人は、欲望に限りがないから物を集めるために平気で人を苦しめ、時には死を賭して闘う。
現代の物質万能の時代では、人間が科学の奴隷となるか宗教の世界に逃れるかして、人類は急速に滅亡への道を辿らされている。
そして霊魂の不滅を信ずる者は来るべきハルマゲドンの驚怖におののいていかがわしき宗教に自分の魂をゆだね、霊魂の存在を信じない者は自分の眼の黒い内だけでも金を手に入れて面白おかしく人生を過ごしたいと思う。

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目次後醍醐天皇



はじめに人類滅亡の危機を救われた後醍醐天皇8

一章後醍醐天皇
天皇を知らずして楠木正成と足利尊氏は語れない17
「天皇否定の宗教」とは21
宗教の天敵25
後醍醐天皇の御心は過去の皇室観で分からぬ30
二つに分かれた皇室が交互に皇位を継承する35
後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒されたのは権勢欲のためではない41
天皇の位の危機を救われた後醍醐天皇47
建武中興の真の目的53
後醍醐天皇が身をもって教えられたこと58
後醍醐天皇を非難する人達63

二章楠木正成
「七生滅賊」の本当の精神69
楠木正成とサンカ一族74
千早城の攻防戦の意味79
純真無雑の精神84
太古の教えに基づく生活89
天皇の詔に絶対随順すること94

三章足利尊氏
足利尊氏は何故逆賊か?101
足利尊氏は吉野を落ちられた後醍醐天皇を殺害した106
人類最大の罪を犯す111
霊に使われる116
「天皇否定の宗教」の目的とするもの121
四章建武中興
これまでの建武中興論はすべて見当違いである127
建武中興は何故起きたか?133
後醍醐天皇と竹内文書139
幕府転覆計画144
志を貫かれた後醍醐天皇150
楠木正成は皇祖皇太神宮神主家の分流であった156
楠木正成の超能力の秘密162
天皇の大御心を安んじ奉るということ167
北朝天皇の御即位と大嘗祭171
護良親王と楠木正成の準備工作176
楠木正成の戦術の妙183
兵法の奥義を極める189
幕府側から天皇側に転じた武将達195
後醍醐天皇の隠岐脱出200
足利尊氏の出現205
新田義貞の義挙211
足利直義のため護良親王が殺害された時、足利尊氏の謀反が現実となった216
足利氏の作った偽りの記録221
「六韜」の陰謀術を真似る足利尊氏227
天下を乗っとるために天皇家の対立抗争を仕組んだ足利尊氏232
正しい気が衰え邪気が伸び出す238
偽りの宣伝文書「梅松論」244
楠木正成の深慮遠謀249
人間は何のために生きているのか255
尊氏を逆賊と認めぬ限り人間生存の意義は分からない260


五章魔物の息の根を止めようとされた後醍醐天皇
天皇否定の思想にマインドコントロールされた日本皇室と日本人269
天皇否定のお先棒を担がされている日本の神官達275
「中臣祓」と「大祓詞」の間違いを発見した吉田兼倶281
後醍醐天皇の御一念が六百五十二年後フリイーメーソンの息の根を止めた287

六章建武中興の陰の存在忌部氏とは
天照大神の岩戸隠りの真相295
鎮魂祭は忌部氏の使命である299
忌部氏の元祖天太玉命302
人類の寿命が縮まった原因306
政界で活躍した忌部氏311
忌部氏と四国に伝えられる狸と狐の子守歌314

七章「天皇否定の宗教」を生み出した「魔物」の霊
足利尊氏は「魔物」の霊に操られていた323
魔術力の起源332
サンカの存在の意義350

まとめ──天皇を知るために366
付録──常陸にある後醍醐天皇の御陵参拝記375


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一章後醍醐天皇
天皇を知らずして楠木正成と足利尊氏は語れない

天皇を知らずして楠木正成と足利尊氏は語れない

今でも皇居前広場の一角に馬上の忠臣楠木正成の銅像が立っている。そこには皇居の外観を見るために各国から旅行してくる人達が一時の休憩を求めてたむろし銅像を眺めている人が多い。
しかし楠木正成の銅像を見ている日本人および外国人の中で、一人でもこの人物の生き様について正しく理解出来た人があっただろうか。
日本が敗戦を迎えるまで楠木正成は皇室を守る大忠臣として人間の範とされていたが、戦後は一転して人民に歯向かう悪党の一人であった様に言い振らされてしまった。
ところが戦後五十五年になるというのに現在まで、人民に歯向かったはずの悪党の銅像が倒壊されることなく、今もなお皇居を見守るかのごとく颯爽と立ち続けているのである。
日本国民のほとんどが国粋主義を嫌い国家神道の存在を否定したにかかわらず、戦争推進の本尊ともいうべき楠木正成の銅像が何故破壊されなかったか?
これは誠に不思議なことではあるが、実は破壊することの出来ぬ強力な力が働いていた。
ここに不思議な力というのは今から六六四年前、後醍醐天皇の命によって湊川(今の神戸市)で戦い、これに殉じた楠木正成の「ただ七たび同じ人間に生まれて朝敵を滅ぼさん」といった誓いの言葉の力である。
しかもこの強烈な力が物質万能金銭崇拝の今日に至るも働き続け、これからも皇室を守り貫くであろう。
また、楠木正成と足利尊氏これら両名の活躍した時代の頂点にあって、最も重要な御立場にあった後醍醐天皇の御存在は、霊の力なくして語れない。
この様なことをいうと科学万能の人達は耳を傾けようとしないが、後から説明する様に霊の力を無視して物を考えようとされる人は、科学を道具にして過去一切の宗教に立ち向かった別派の宗教からマインドコントロールを受けているものである。
人間がこの世に生きて行くために何よりも大切なことは、霊の力を知るということであろう。
霊の力を大別すると、次の三種類に分けることが出来る。
一、この宇宙を一つの中心点のもとに統一しようとする力。
二、一つの中心点を守護しようとする力。
三、一つの中心点を破壊しようとする力。
またこれに付随して様々な霊の働きを生ずるが、窮極のところ、以上の三つの霊の力に帰一する。
今日よくテレビや新聞雑誌で照介されている類の霊というのは、すべて「一つの中心点を破壊しようとする霊の力」で極く小範囲のものであるが、この様なものをもって霊の本質だと思ってはいけない。
勿論これにはキリスト教、ユダヤ教、マホメット教、仏教を始め、今日のいわゆる既成宗教も全部含まれる。
故に、今日の人類が承知している霊とはとるに足らない小範囲のもので、本当の霊の本質は宇宙生成の根元に基づくものである。
それでは、「この宇宙を一つの中心点のもとに統一しようとする力」とはいかなる霊の働きをいうのであろうか。
太古の常識によると、宇宙の母体は鶏の卵の様に生み成そうとする力の充満した中心点で、その中から宇宙万有が八段階を経て生み成され、宇宙全体を統御する力と宇宙全体を育成する力の出現を合わせた十段階によって宇宙が完成するという。
宇宙完成の十段階は太古においてスメラミコト(天皇)を表わす宇宙構造図という図式(図1)で示され、天皇は宇宙万有の主宰者であることを明らかにしているだけでなく、太古のすべての思想の根本であった。
(図1)天皇を表わす宇宙構造図

一段階 宇宙生成の母体
(中心点)

二段階 宇宙生成の初期
(膨張力と集結力が分離して中から球状の穴が開く)

三段階 第一次宇宙の膨張拡大
(円はエネルギー・四角形は宇宙をかたどる)

四段階 第二次宇宙星雲の誕生
(四角形の二分割)

五段階 恒星の誕生
(四角形の四分割)
六段階 惑星の誕生
(四角形の八分割)

七段階 生物の発生
(四角形の十六分割)

八段階 エネルギーの発生
(四角形の三十二分割)

九段階 宇宙全体を統御する力の出現
(天皇紋章の原形)

十段階 宇宙全体を育成する力の出現
(皇后・神宮紋章の原形)

右十段階の図式は天皇の御使命を表わすものであるから太古天皇は御自らこの図式に基づいて文字を作られた。なお文字は一字一字万有の神々を表わすもので、最も神聖なものとされていたのである。
だから、現在全世界に残されているすべての古代文字は宇宙構造図から作られたもので、天皇は文字を作ることによって御自ら宇宙の主宰者であることを自覚された。
また、天皇のことを天地の公運活動の主ともいわれ、天皇は念と言葉の力を用い宇宙万有を自由自在に動かしておられたという。
すなわち天皇の霊の力は、この宇宙を一つの中心点のもとに調和統一しようとするもので、一つの中心点である天皇は宇宙全体を包合しておられたのである。
ところが、今から三千数百年前に「天皇を否定する宗教」が発生し、人類がこの思想に感染するとたちまち世界は宗教闘争の嵐に巻き込まれて、今日に至るもその静まるところを知らない。
また、人類から見捨てられた天皇は、人類と共に宗教の霊に屈し天皇本来の御神気を発揮出来ない様になってしまった。
今日まで楠木正成と足利尊氏に関する書物は多いが、そのすべては当時の後醍醐天皇について、天皇に徳なきため世が乱れたと評している。そのため戦前は楠木正成を褒めたたえれば褒めたたえる程、後醍醐天皇は徳なき天皇とおとしめられ、戦後は足利尊氏を立派な人物に持ち上げるため、あえて後醍醐天皇を辱しめていた。
しかも楠木正成と足利尊氏は何れが正しいのか未だに決着がつかず、時代と共に変わってゆく。これからも、天皇を知らずして楠木正成と足利尊氏を語ることは、いたずらに「天皇否定の宗教」にもてあそばれてゆくことになる。

「天皇否定の宗教」とは

科学万能を人生の目的と考えている人達は霊の存在を無視する傾向にあるが、もし真の底から霊の存在を否定しているのであれば、この人はコンピューターの価値しかない機械人間といえるのではないだろうか。
残念ながらこの様な人は、自分の意志とは裏腹に必ず宗教の霊に簡単に


あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。



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まとめ ―― 天皇を知るために


有史以来人類の残してきた一般記録の中で日本の現身の天皇が宇宙の中心にましますことを具体的に述べたものは皆無であった。
ところが記録に頼らず太古の遺物だけを深く検討して見ると、そのすべては天皇が宇宙の中心にましますことを必ず明示している。
今から三〇九四年前日本に渡来して正覚を得た釈迦は、妙法蓮華経を説き方便の表現を用いて宇宙の中心天皇のことを詳細に述べた。しかし、天皇否定の時代において明から様に天皇のことを言えば必ず殺されたから、事実を秘す以外に道がなかったのである。
また今から三四二九年前にモーゼは皇祖皇太神宮別祖太神宮で十戒石を作った。内容は宇宙の中心を天皇に定めたが、後世になって旧約聖書に偽り記された十戒の内容はユダヤ人専用の嫉妬深い神になってしまったのである。
この様に記録があっても事実を隠しあるいは故意に偽り記したから、この世に正しい記録などあるわけがない。
天皇御自ら宇宙の中心天皇の御存在を宣言されたのは後醍醐天皇ただお一人であったが、天皇は妙法蓮華経を通じて宣言されたから後世の誤解を招いてしまった。
それから四百二十年(六十年の七巡)を経て後桜町天皇が御自ら皇祖の天照大神を宇宙の中心に拝し、日夜神像を膚身離さず尊信されたのである。
このことが動機となり全国的に尊皇思想が盛り上がり、徳川幕府の大政奉還へと時代が変わっていった。
後桜町上皇が崩御されたから六十年後の明治六年、天皇を天つ神(宇宙の中心)の分身と信じ、後には現身の天皇を宇宙の大天皇と言明する松下松蔵氏が出生したのである。

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著者プロフィール
竹 田 日 恵(たけだにちえ)
一九二七年徳島県生まれ、海軍予科練卒業。
戦闘機、零戦、紫電改・搭乗員として従軍。日本大学からカリフォルニア大学に留学、哲学博士。
緒方竹虎副総理秘書を経て相模工業大学理事長学長を務め、現在、外務省所管財団法人友邦協会会長、文学考古会会長、日大皇学研究所理事長として「竹内文書」「古代歴史」「ユダヤ問題」等の研究を日本大学本部で開講している。
著書「竹内文書・世界史の超革命」徳問書店、「竹内文書が明かす超古代日本の秘密」日本文芸社、「魏志倭人伝の陰謀」日本文芸社、がある。一九九七年JLNAブロンズ賞受賞


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本の誕生秘話

ものすごく暑い日だった。竹田日恵という人から電話がはいった。初めて聞く名前だった。
「高坂和導が、明窓出版から許可なく本を出されたといきまいている。ついてはそちらの言い分もあるだろうから、一度会ってみたらどうだろう。僕も立ち合うから……」とおだやかな声が伝わってきた。
著者さんとの不和は決して褒められたことではないし、聞けばその人は日大の教授をしていたこともあるという。
すぐに会うことになった。高坂さんとはすぐに話し合いがついた。もともと双方の思い違いに端を発したことだから、第三者を交えて感情抜きの話をすると手打ちも早かった。
それから半年、「竹内文書がらみで後醍醐天皇の原稿を書いたので、読んでもらえないかね」いそいそと出かけたのはいうまでもない。
その時の先生の顔はとても輝いていた。お話を聞くほどに、編集者としてあるまじきことながら、読みもしていない原稿を前にして「やりましょう」即答してしまった。
竹田先生ご自身も思い入れの強い原稿だったらしく「僕も半分位負担してあげてもいいから、読売新聞の全国版に広告を出してみようよ」これにも易々として従った。先生亡き今も注文が続いている。

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読者感想文
みなさんからの素敵な感想文をお待ちしております。編集部
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