天皇を知らずして楠木正成と足利尊氏は語れない
今でも皇居前広場の一角に馬上の忠臣楠木正成の銅像が立っている。そこには皇居の外観を見るために各国から旅行してくる人達が一時の休憩を求めてたむろし銅像を眺めている人が多い。
しかし楠木正成の銅像を見ている日本人および外国人の中で、一人でもこの人物の生き様について正しく理解出来た人があっただろうか。
日本が敗戦を迎えるまで楠木正成は皇室を守る大忠臣として人間の範とされていたが、戦後は一転して人民に歯向かう悪党の一人であった様に言い振らされてしまった。
ところが戦後五十五年になるというのに現在まで、人民に歯向かったはずの悪党の銅像が倒壊されることなく、今もなお皇居を見守るかのごとく颯爽と立ち続けているのである。
日本国民のほとんどが国粋主義を嫌い国家神道の存在を否定したにかかわらず、戦争推進の本尊ともいうべき楠木正成の銅像が何故破壊されなかったか?
これは誠に不思議なことではあるが、実は破壊することの出来ぬ強力な力が働いていた。
ここに不思議な力というのは今から六六四年前、後醍醐天皇の命によって湊川(今の神戸市)で戦い、これに殉じた楠木正成の「ただ七たび同じ人間に生まれて朝敵を滅ぼさん」といった誓いの言葉の力である。
しかもこの強烈な力が物質万能金銭崇拝の今日に至るも働き続け、これからも皇室を守り貫くであろう。
また、楠木正成と足利尊氏これら両名の活躍した時代の頂点にあって、最も重要な御立場にあった後醍醐天皇の御存在は、霊の力なくして語れない。
この様なことをいうと科学万能の人達は耳を傾けようとしないが、後から説明する様に霊の力を無視して物を考えようとされる人は、科学を道具にして過去一切の宗教に立ち向かった別派の宗教からマインドコントロールを受けているものである。
人間がこの世に生きて行くために何よりも大切なことは、霊の力を知るということであろう。
霊の力を大別すると、次の三種類に分けることが出来る。
一、この宇宙を一つの中心点のもとに統一しようとする力。
二、一つの中心点を守護しようとする力。
三、一つの中心点を破壊しようとする力。
またこれに付随して様々な霊の働きを生ずるが、窮極のところ、以上の三つの霊の力に帰一する。
今日よくテレビや新聞雑誌で照介されている類の霊というのは、すべて「一つの中心点を破壊しようとする霊の力」で極く小範囲のものであるが、この様なものをもって霊の本質だと思ってはいけない。
勿論これにはキリスト教、ユダヤ教、マホメット教、仏教を始め、今日のいわゆる既成宗教も全部含まれる。
故に、今日の人類が承知している霊とはとるに足らない小範囲のもので、本当の霊の本質は宇宙生成の根元に基づくものである。
それでは、「この宇宙を一つの中心点のもとに統一しようとする力」とはいかなる霊の働きをいうのであろうか。
太古の常識によると、宇宙の母体は鶏の卵の様に生み成そうとする力の充満した中心点で、その中から宇宙万有が八段階を経て生み成され、宇宙全体を統御する力と宇宙全体を育成する力の出現を合わせた十段階によって宇宙が完成するという。
宇宙完成の十段階は太古においてスメラミコト(天皇)を表わす宇宙構造図という図式(図1)で示され、天皇は宇宙万有の主宰者であることを明らかにしているだけでなく、太古のすべての思想の根本であった。
(図1)天皇を表わす宇宙構造図
一段階 宇宙生成の母体
(中心点)
二段階 宇宙生成の初期
(膨張力と集結力が分離して中から球状の穴が開く)
三段階 第一次宇宙の膨張拡大
(円はエネルギー・四角形は宇宙をかたどる)
四段階 第二次宇宙星雲の誕生
(四角形の二分割)
五段階 恒星の誕生
(四角形の四分割)
六段階 惑星の誕生
(四角形の八分割)
七段階 生物の発生
(四角形の十六分割)
八段階 エネルギーの発生
(四角形の三十二分割)
九段階 宇宙全体を統御する力の出現
(天皇紋章の原形)
十段階 宇宙全体を育成する力の出現
(皇后・神宮紋章の原形)
右十段階の図式は天皇の御使命を表わすものであるから太古天皇は御自らこの図式に基づいて文字を作られた。なお文字は一字一字万有の神々を表わすもので、最も神聖なものとされていたのである。
だから、現在全世界に残されているすべての古代文字は宇宙構造図から作られたもので、天皇は文字を作ることによって御自ら宇宙の主宰者であることを自覚された。
また、天皇のことを天地の公運活動の主ともいわれ、天皇は念と言葉の力を用い宇宙万有を自由自在に動かしておられたという。
すなわち天皇の霊の力は、この宇宙を一つの中心点のもとに調和統一しようとするもので、一つの中心点である天皇は宇宙全体を包合しておられたのである。
ところが、今から三千数百年前に「天皇を否定する宗教」が発生し、人類がこの思想に感染するとたちまち世界は宗教闘争の嵐に巻き込まれて、今日に至るもその静まるところを知らない。
また、人類から見捨てられた天皇は、人類と共に宗教の霊に屈し天皇本来の御神気を発揮出来ない様になってしまった。
今日まで楠木正成と足利尊氏に関する書物は多いが、そのすべては当時の後醍醐天皇について、天皇に徳なきため世が乱れたと評している。そのため戦前は楠木正成を褒めたたえれば褒めたたえる程、後醍醐天皇は徳なき天皇とおとしめられ、戦後は足利尊氏を立派な人物に持ち上げるため、あえて後醍醐天皇を辱しめていた。
しかも楠木正成と足利尊氏は何れが正しいのか未だに決着がつかず、時代と共に変わってゆく。これからも、天皇を知らずして楠木正成と足利尊氏を語ることは、いたずらに「天皇否定の宗教」にもてあそばれてゆくことになる。
「天皇否定の宗教」とは
科学万能を人生の目的と考えている人達は霊の存在を無視する傾向にあるが、もし真の底から霊の存在を否定しているのであれば、この人はコンピューターの価値しかない機械人間といえるのではないだろうか。
残念ながらこの様な人は、自分の意志とは裏腹に必ず宗教の霊に簡単に
あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。